笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

飛ぶこと、泳ぐこと、先に進むことの快感

2016-09-13 | tak日記
今、リオはパラリンピック。
新聞を読んでいたら、コラムのところに『目の見えないアスリートの身体論』という話が合った。
1人は、「走る」とについて
視力障害のかたは、すり足状態で歩く事が多い。
足先で危険を察知すること、そして、足を地面から離す事への怖さもあるんだろうね。

中途失明の彼女が、「走る」ということを、こう表現したという。
「走るっていうのは両足を地面から同時に離す快楽なんです」。
地面から足を離す事への怖さを乗り越え、走る。
走っているある瞬間は、両足が地面から離れてる、飛んでいるんだよね。
国語辞典も顔負けの鮮やかな定義ではないか

そして、もう1人、「泳ぐ」ことについて
競泳の木村敬一選手は、一歳半で全盲となっため、人が泳ぐという様子を見た事が無い。
フォームをまねて泳ぐ着を覚えることが出来ない、
だから、泳ぎ方は、自分の体で覚えるしか無い。
それじゃないと、溺れちゃうというところまで追い込んで泳ぎ方を自分の物にしたという。

真っ暗な世界の中、水に飛び込むと言うことはどれだけの怖さと戦ったのだろう。
体が浮くことの快楽も確かにあったには違いない。
どちらが壁なのか、どれだけ泳いだらゴールなのか、すべてを身をもって知るしか無い。

そんな木村さんが、今日は男子50メートル自由形(視覚障害S11)出場。
入水の体勢が悪くて浮上為たときに、コースロープにぶつかったという。
蛇行することも多いという木村さんだけど、コースロープギリギリで、まっすぐに力強く泳ぎ、
2位!銀メダルに輝いた。
おめでとうございます!!

聞き慣れない競技もある。
「 ボッチャ」銀メダルおめでとうございます。

おめでとうと言えば、伊調馨選手、国民栄誉賞の受賞が決まりましたね。
オリンピック4連覇。
沢山の感動をありがとう!

記念品は和服を希望とか。
是非是非、あでやかな振袖で受賞式に出席ください。

日本和装のCMでご一緒するというのはどうでしょう?

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ざまをみろ!と開放区で、綴っている日記も、1999年が終わった。
1999年は。ドラマの無かった年、「2046」を撮っていたからね。

言葉が通じない。台本が無い、撮っているのが何のシーンかも判らない。
拓哉君に取って、まさしく、真っ暗な中泳いでいるような時間だったような気もします。


その「2046」が完成したのは、2003年。

2003年11月3日に、完成披露の会見があった。
↓はその次の日の日記。

2003年11月4日

”か”のつく国の祝日の制定に寄せて

これは、どこかにある”か”のつく国のお話です。
昨日、"か"のつく国の”シ”のつく時の住人から11月3日を祝日にしようと言う声が挙がりました。
そして、全員一致で賛成し「2046記念日」と名付けられました。

祝日の主賓は、もちろん「我らが木村拓哉」
主賓からのメッセージはTVを通して伝えられました。
素敵と言う言葉ではとうてい言い尽くせないくらいの素晴らしいメッセージでした。
鳩地区で直接ふれることの出来なかった私たちにも優しい方々からの愛の手で、メッセージが届けられました。

その言葉にふれて、彼の4年間の重さを感じました。
そして、この4年間が本当に大切なものとして彼の中ではぐくまれてきたことを知りました。
ライブのMCでも、何度も話題にされましたし、彼に届かないまでも、私も、
これがあるから前に進めないのではなどと思ったことがありました。
そんな直接・間接の声に負けることなく、この間にいろんなものをすべて糧にして
(糧にするにはあまりに辛い彼への声や言動もありましたが)彼はいつでも前を向いていました。
その間あのTシャツに向かうとき、どんな思いだったんだろうと考えると・・・・。
ですが、言葉を選びながら落ち着いて語る彼を見ていると、
もしかしたら99年に完成しなかったこと、それさえも恵みだったのかとさえ感じました。


なぁ~~んて感じで続くのです。

グーパーウォーク1