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①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

61年ぶりの台湾訪問

2007年12月16日 | 経済
 昭和21年3月台湾を離れて以来61年ぶりの台湾である。
台北の桃園国際空港から高速鉄道の桃園駅までタクシーで行き(315NT$)待つこと一時間、高速鉄道が来た。台南まで指定で1190NT$である。高速鉄道は1時間に5本は出ているのであるが桃園も台南も半分は止まらない。当然のことであるが高鉄
は新幹線と同じである。
台南駅に着いたが高鉄の台南駅は台南市街からかなり遠い。ホテルは台南朝代大飯店安くていいホテルである。予約を入れたときは31,500円と聞いていたが実際に請求されたのは24,000であった。やぶへびになってはいけないので何故安いのかは聞かなかった。1泊4000円である。部屋はきれいで朝食もバイキング形式が付いていて大満足であった。
 ゼーランジャ城はオランダ人が作ったものでこれが歴史の最初であるというのは台湾のユニークなところである。オランダ人が40年いて後は鄭成功(明系)に追い出され、それ後清に属し、1895年に日本に割譲されたがそれまでの中国文化の遺跡は無に等しい。日本統治時代に種々の文化的な蓄積が始まったといえる。日本時代の蓄積の大きさはかなりのものである。
 その中の白眉は華南平野を水で潤した八田ダムで有名な大土木工事であろう。八田与一は東京大学卒業の若い土木技師でそれまで南北100キロ東西30キロの華南平野は洪水と旱魃を繰り返して3年に1回しか米がとれない荒地であった。10年の歳月をかけて完成した八田ダムにより珊瑚潭といわれる人造湖が出来、広大な華南平野は台湾の一大穀倉地帯に生まれ変わった。張り巡らされた給水溝は16000キロにのぼる。完成した昭和5年には世界の土木工事としてアメリカ土木学会から表彰されている。そのとき八田与一が農民を組織して作らせた水利用組合は日本統治時代が終わった後も生き続け、70年たった現在でも健在である。
 台南の町でで話した老人の日本語の完璧さとその人の良さそうな態度と笑顔には話には聞いていたが感銘を受けた。
 
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1 コメント

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女最高!! (元ドゥティ)
2007-12-17 03:51:31
ドゥティは小学生までだよな?オレは昨日卒業してきたぜww
http://fuyuiro.net/dprem/661
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