日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

漢字は日本語の表意文字

2010年09月25日 | 日本語
 「漢文と東アジア」という本を読んだ。副題に「訓読の文化圏」とあり、腰巻には「漢文訓読は日本独自のものではない」とあった。読んでみたがこれまでの考えを改めるようなものではなかった。著者はあれこれ議論するが訓読みをする国民は日本だけで、漢文訓読法も日本独自のものという考えは変える必要はない。
 漢文訓読法は訓読みを通して日本人が漢字の意味に関しては翻訳不要といえるほど通暁するようになっていたことが大きい。漢字の意味が全てわかっているから漢文の順序を日本語の順序に置き換えるだけで意味が通るようになるのである。朝鮮もベトナムも漢字が消えてしまっている。これは両国が日本人ほど漢字に親しんでいなかったからであろう。あまり知らないものは失くなっても誰も困らない。
 漢字の意味を知るよいになるためには訓読みをすることが一番である。やま=山、かは=川、うめ=梅、かお=顔、みち=道、いま=今、むかし=昔、とおげ=峠、つじ=辻と日常的に使う大和言葉に漢字または和製漢字を割り当てて使っていけばバカでも漢字を覚えてしまう。
 訓読みは日本語「やま」を表す表意文字が「山」であるということである。「むかし」の表意文字が「昔」なのである。日本人が漢字を捨てないのは漢字を日本語の表意文字と考えているからである。朝鮮、ベトナムでは訓読みを採用しなかったために漢字に十分通暁するようにならないまま、漢字を不要と考え捨ててしまった。
 「漢文と東アジア」の著者はこのあたりのことを理解していない。強い訓読廃止論があったのになぜ日本人が訓読を捨てなかったかと長々議論して、様々な理由を挙げているが答えは簡単である。漢字が日本語表意文字であり、漢文を訓読法で読み下せば日本人には掌を指すようによく理解できるからである。
 漢字文化の議論をするとき漢字が日本語の表意文字であることを忘れた議論では真っ当な結論は望むべくもないと知るべきである
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