8月14日に行われたNHK討論会「共に語ろう。日韓の未来」は見ていなかったが動画サイトに公開されたものを見た。部分的にしか見ていないが、予想どうりというか、相変わらずという韓国側の一方的な偏った話ばかりで全く「日韓の未来」については話されることはなかった。徹頭徹尾過去の話に終始したのも異常であるが、討論の中で日韓併合をユダヤ人虐殺や米軍の原爆投下と比較するくだりがあり、その異常さにあきれた。ドイツはホロコーストを謝罪しているが日本人は謝罪していないという論理である。27歳の日本人、古谷経衡氏が「日本人はホロコーストは犯していない」と訂正したが韓国側は「日韓併合がホロコーストと同じ極悪非道の行い」だと主張しているのであって反論になっていなかった。その後古谷氏が植民地を持つのは普通に行われていた時代であったと述べ、「日本は韓国人を嫌って併合したのではない。やむを得ず併合したのだ」と話した。これに対して「米軍がやむを得ず原爆を投下したと言えば肯定できるのか」という反論があった。この例え話は韓国側は「日韓併合は原爆投下と同じ極悪非道の行い」と考えていることを示している。これもとんでもない話だ。
日韓併合は日本側から見れば「韓国人を日本人として受け入れた」ことを意味し、人種的な憎悪或いは偏見が基になっているホロコーストや原爆投下とは全く異質のものである。比較出来るものではない。これを異質と考えられない韓国側に恐ろしさを感じる。
日韓併合と比較するのはいくらでもある。近くは日本の台湾領有、ロシアとウクライナの合併、中国のチベット領有、或いは英国のインド領有などと比較すべきであろう。なぜホロコーストや原爆投下と比較するのか全く日本人には理解不能である。これは台湾人にとっても同じであろう。
先日の菅首相談話で日本は36回目の謝罪をしたという。しかし韓国側はドイツはホロコーストに対して真摯に謝罪したが日本人は日韓併合に対して一度も謝罪していないと言い続けることであろう。
ユダヤ人は「ナチスのユダヤ人虐殺は比類ない悪で、歴史上これに比べられるものはない」と言っている。原爆投下もホロコーストも広島やアウシュビッツが世界遺産に登録にされて、評価は定まってきているといえる。これに対して日韓併合は負の歴史としてではなく、輝かしき例として残ってもおかしくない。日本統治の35年間に識字率4%から61%にあがった。小学校の数は100校から5000校に増えた。人口は900万から2300万人に増えた。経済が安定し、収入が増え、結婚して、安心して子供を作れるようになったのである。日韓併合時代を生きた韓国人は知らないはずはないのである。韓国における戦後教育の野放図さ、教養の無さのせいであろう。このような偏見を作り上げ、対外的に突っかかって顧みることを知らない韓国人の異常さ、野蛮さ、バカさ加減の現われたものである。古谷氏の意見表明に「君は歴史を語る資格はない」と攻撃して、京大の准教授にたしなめられた崔洋一氏の傲慢さ、低能ぶりが鮮やかであった。小倉准教授の言う通り「どんな歴史観をもってもいい」のだ。「そんな言論封鎖をするなら、あんたこそ発言する資格はない」と反論されてお終いだ。崔洋一氏を典型として韓国人の精神年齢を10歳の子供に等しいと表現してもおかしくはないであろう。韓国人は日本人を理解できない。そのレベルに程遠く、話しても無駄であろう。疲れるだけである。我々はこのことを理解して隣国としてうまく対処する方法を考えるべきである。
その一つの方法として
● 日本と韓国は歴史と文化が違うため、考え方も違い、相互に理解し得ないことを確認することを目標とすること
● 討論会を韓国人の為に「彼らの論理的矛盾や自己欺瞞を親切に指摘してあげる競技」の場と考えること
を提案したい。間違っても日本人の考えを理解してもらう場などとは考えてはいけない。そのためにはできるだけ韓国側と意見の違う人を意識的に選んで議論が白熱するようにもって行くことである。それが日韓友好を考えるのであれば最適の考え方であろう。
日韓併合は日本側から見れば「韓国人を日本人として受け入れた」ことを意味し、人種的な憎悪或いは偏見が基になっているホロコーストや原爆投下とは全く異質のものである。比較出来るものではない。これを異質と考えられない韓国側に恐ろしさを感じる。
日韓併合と比較するのはいくらでもある。近くは日本の台湾領有、ロシアとウクライナの合併、中国のチベット領有、或いは英国のインド領有などと比較すべきであろう。なぜホロコーストや原爆投下と比較するのか全く日本人には理解不能である。これは台湾人にとっても同じであろう。
先日の菅首相談話で日本は36回目の謝罪をしたという。しかし韓国側はドイツはホロコーストに対して真摯に謝罪したが日本人は日韓併合に対して一度も謝罪していないと言い続けることであろう。
ユダヤ人は「ナチスのユダヤ人虐殺は比類ない悪で、歴史上これに比べられるものはない」と言っている。原爆投下もホロコーストも広島やアウシュビッツが世界遺産に登録にされて、評価は定まってきているといえる。これに対して日韓併合は負の歴史としてではなく、輝かしき例として残ってもおかしくない。日本統治の35年間に識字率4%から61%にあがった。小学校の数は100校から5000校に増えた。人口は900万から2300万人に増えた。経済が安定し、収入が増え、結婚して、安心して子供を作れるようになったのである。日韓併合時代を生きた韓国人は知らないはずはないのである。韓国における戦後教育の野放図さ、教養の無さのせいであろう。このような偏見を作り上げ、対外的に突っかかって顧みることを知らない韓国人の異常さ、野蛮さ、バカさ加減の現われたものである。古谷氏の意見表明に「君は歴史を語る資格はない」と攻撃して、京大の准教授にたしなめられた崔洋一氏の傲慢さ、低能ぶりが鮮やかであった。小倉准教授の言う通り「どんな歴史観をもってもいい」のだ。「そんな言論封鎖をするなら、あんたこそ発言する資格はない」と反論されてお終いだ。崔洋一氏を典型として韓国人の精神年齢を10歳の子供に等しいと表現してもおかしくはないであろう。韓国人は日本人を理解できない。そのレベルに程遠く、話しても無駄であろう。疲れるだけである。我々はこのことを理解して隣国としてうまく対処する方法を考えるべきである。
その一つの方法として
● 日本と韓国は歴史と文化が違うため、考え方も違い、相互に理解し得ないことを確認することを目標とすること
● 討論会を韓国人の為に「彼らの論理的矛盾や自己欺瞞を親切に指摘してあげる競技」の場と考えること
を提案したい。間違っても日本人の考えを理解してもらう場などとは考えてはいけない。そのためにはできるだけ韓国側と意見の違う人を意識的に選んで議論が白熱するようにもって行くことである。それが日韓友好を考えるのであれば最適の考え方であろう。