日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

秀吉の朝鮮出兵時に日本人は植林をし、市街地の造成を行っていた。

2010年09月13日 | 文化
 英国人女性イザベラバードの朝鮮紀行(時岡敬子訳)を読んでいたら秀吉の朝鮮出兵時に日本人が植林をし、市街地の造成を行っていたという文章にであった。「朝鮮の第一印象」という章で日本からの最初の訪問地である釜山について様々な印象を記述している。

 釜山の外国人居留地は頂上に寺のある急勾配の高台にあり、日本占領下の1592年に植えられた杉林に囲まれている。

 同じところに釜山の中心街が同じく秀吉時代に日本人の構想によってつくられたことも記述している。

 その小道は私が最後に見たときには無人だったが、官街もある小さな清国人居留地を通り、その終点に、城壁に囲まれた釜山の旧市街がある。砦はとても古いものの、中の市街は三世紀前の構想に沿って日本人の手によって近代化されている。

 
その頃の日本では大名が新しい土地を支配するようになることが頻繁に起こっていたが大名は新しい土地で将来の人口増を考慮して街をつくり直すことが頻繁に起こっていた。釜山を占領した日本人は将来の町の発展を考えた釜山の町の中心部分を作り直していたのである。日本の市街地は城壁で囲まれることはないが朝鮮であることを考慮して城壁が作られているとバードは書いている。それが李朝末期にまで古びてしまっているものの旧市街として残っていたのである。
 植林の方は釜山の山がはげ山が多かったので日本人はすぐに反射的に植林を行ったのであろう。1592年植林といえば朝鮮出兵の最初の年である。その頃から日本人は勤勉で休みなく働いていたようでほほえましい。
 このことをイザベラバードは誰から訓えられたか。朝鮮人が覚えていて日本人の功績として教えてくれたとは考えられない。日本人がそれをバード女史に教えたのであろうか。それも忙しい日本人に可能とも思えない。これは先に朝鮮に住んでいた英国人が教えたのであろう。彼らは杉林の規則正しい並びから植林と考え、年輪を数えて1592年だから日本人が植林したと割り出したのであろう。また釜山の市街地もそのつくりから日本風を感じたのであろう。
 日本人の考え方や行いは昔からあまり変っていないことと英国人の端倪すべからざるところを見せられた思いである。
コメント (2)
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