塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ある種のステイタスとしてのスパイク

2024-05-23 20:02:22 | 日記

 ステイタスという言葉があります。

 

 例えば過去、セリエAではディアドラカロっトを着用することが、名手としての証でした。

 

 それ以前はパンとドラドー路、ヴァルスポルトがそうで、理由として

 

 名手がこぞって履いて活躍したから

 素人がみても一目で高品質であることがわかる製品だkら

 

 ということが大きかったわけです。

 

 日本ならば、プーマとアディダスという舶来品を羨望の目で見ながらも、ヤスダやモンブランを履いている学生が多かったようです。

 

 もう少し予算にゆとりがあれば、アシックスと吐くことも多かったようです。

 

 ミズノが本格的にサッカースパイクを制作するのは、カレカと契約する1986年ごろまでなかったようで、だからこヤスダやアシックスからすれば

 

 商売敵が少なくなる

 市場を考慮してもよい時期だった

 

 と言えるはずです。

 

 しかし近年はナイキの影響力が知強く、ステイタス、つまり名手の証も変化してきました。

 

 常に同じスパイクを履くわけにもいかず、ブランドは新しい靴を続々と発売し、お金をもらう以上はその声を尊重せねばなりません。

 

 ある意味で今は、選手にもある種の審美眼とブランドに適切な表現でリクエストが必要ではないでしょうか。

 

 その代表例がアディダスF50と感じます。

 

 選手が「もう一度は期待から市場に流通させてくれ」と頼んだからこそ、アディダスは決断したはずですよ。

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