塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

それを言ってはおおしまいよという考え

2024-06-11 22:02:00 | 日記

 僕が勤務を終えて帰宅したのは19時40分。

 

 その時点で日本代表はシリア代表に3-0のスコアでリードしていました。

 

 父が自室から、「サッカー中継があるぞ」を声をかけてくれましたが、さほど視聴する気が起きなかったことも事実です。

 

 指揮官のエクトル・クーペル

 来日しているシリア代表の選手たち

 

 誰もが口にしませんが、それを言ってはおしまいよだからでしょうか。

 

 シリアがアサド政権の下で内戦になっていなければ

 日本代表のように、代表の練習環境があれば

 

 という点は当然ありますよ。

 

 ミャンマーもそうで、世論は当然現在クーデタで内情を握りつぶしている軍事政権を快く思いません。

 

 それは北朝鮮との国交がなく、結果として没収しあいとなった点も同じことです。

 

 政治と軍部に振り回さえしなければ

 日本のように、経済的に落ち込んでいなければ

 

 ということは、かの国が決して口にしないもの、皆が思うことでしょうね。

 

 ただ日本も国旅期はR低下し、米国に軍事をゆだねていることも確かですから、偽りの姿とも見れます。

 

 缶億代表選手たちは、ソン・フンミンですら徴兵をンがれることが出来ないという、厳しい現実で生きていますから。

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