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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本サッカーが外国籍の力を借りる際

2023-10-05 21:48:32 | 日記

 ミズノは1990年代、トランスパワーというエネルギーを瞬発力に変化できる技術を靴に搭載します。

 

 前回お話しした、会うパッド・ウエップに与えたバッシュにも、この機能が搭載されていました。

 

 リーボックがエネルギー・リターンシステム

 コンバースがエナジーウエーブ

 

 というように、バッシュとランニングシューズは、選手の怪我防止だけでなく現在にも通じる

 

 瞬発力で選手の頑張りを支援

 いかに履き心地と機能を両立できるのか

 

 を当時から考えていたんですね。

 

 スパッド・ウエップとミズノの関係性を見ますと、日本代表監督やJクラブが有力な外国籍指揮官を招聘する材料がある気がします。

 

 当然当時の景気は現状よりもはるかによく、同時に極端までの円安でなかったことも確かです。

 

 ただミズノには

 

 身長の低いスパッド・ウエップに起用が、トランスパワーの良い照明となる

 一度履いてもらえれば、彼は気に入る

 

 という信念があったと思うのです。

 

 日本サッカー協会とJクラブが仮に外国籍、それも名うての存在にアタックする際も、当然報酬と契約年数は大事ですが

 

 相手がなるほどと思う案件

 相手が面白いなと思うアイディア

 

 をできるだけ用意し、皆で知恵を絞ってまとめていくことが必要ではないでしょうか。

 

 代表監督は国籍を問わなければ世界中から招へいできますが、範囲が広いからこそ要約することは大事だと思うのですね。

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固定概念を打ち破ること

2023-10-05 21:27:57 | 日記

 NBAでは身長が160センチ程度でありながら、大活躍を見せた事例があります。

 

 Bリーグもそうですが、バスケットボールは身長が必要という固定観念を覆した、ある意味痛快な事例です。

 

 マグジー・ボークス シャーロット・ホーネッツに在籍

 ネイト・ロビンソン ニューヨーク・ニッカボッカーズに在籍

 スパッド・ウエップ サクラメント・キングスに在籍

 

 とくにスパッド・ウエップは「ポニー」を履いていたのですが、晩年は「ミズン」と契約していたこともあり、日本での馴染みある選手となりました。

 

 恐らく、彼を最後にミズノのバッシュを履くNBAの選手はいないはずです。

 

 この固定概念はサッカーでもあります。

 

 例えばマンチェスター・シティに代表される、マイボール保持の展開は確かに素晴らしいですよね。

 

 ただ、かつてのアイルランド代表とナイアル・クインのように、愚直にロビングとアーリー・クロスを彼に提供する、それで点が奪えるならばよい、という考えもあるでしょう。

 

 日本代表がカタール2022で見せたように、バック3とバック5の併用は臨機応変という形で魅力ですが、試合展開に応じて布陣は変更しないという指揮官もいます。

 

 サッカーにおいて

 

 必ず勝ち点3を得られる戦術と布陣

 完璧な選手交代

 

 はありませんし、だからこそ皆戦術を語りたいのではないでしょうか。

 

 指揮官からすれば迷惑でしょうけどね。

 

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コンプレックスは力の源か

2023-10-05 21:20:32 | 日記

 俳優セルジュ・ゲンズブールは、自分の容姿が冴えない、醜いことを自覚していました。

 

 彼はフランスで活動しましたが、ルーツはロシアにある、ある意味「異邦人」という感覚を、常に抱いていたのかもしれません。

 

 そのゲンズブールと恋に落ちたのがジェーン・バーキンです。

 

 バーキンはバストが小ぶりで、豊満とかけ離れている事実を受けれ痛くなかったといいます。

 

 しかしゲンズブールは

 

 「君は最高だよ」

 「バーキン、君は美しい」

 

 と言い続け、むしろ彼女が気にしている胸の小ささを気に入り、賞賛したんですね。

 

 人間はどんな形でも不具合をもちますし、コンピレックスがあるからこそ

 

 挽回しようとする意識

 自分を常に顧みて謙虚にする

 

 ことが出来ます。

 

 過去、日本代表がどうしても韓国代表に勝利できない時代がありました。

 

 蚕室でも勝利できないうえに、国立競技でも競り負けてしまう現状を、ブラジルで研鑽を積んだ三浦知良と帰化したラモス瑠偉が軸となり、勝利の機運を高めていきます。

 

 その陣頭指揮にあたったハンス・オフトも、代表の30年の歩みにおどろいでいるのではないでしょうか。

 

 オフトは最後の最後でFIFAワールドカップ出場を得られませんでしたが、ある意味阿の戦力でよくやったと思えます。

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