塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

上司に必要な姿勢、それは自分の誤りを認めること

2016-08-30 01:44:14 | 日記
 昨日、同僚から

 「主任が責任者会議で席を外れるから、主任業務を代理で15分だけ行ってほしいそうよ」

 と教えられ、実行しましたが結局その業務は60分に及びました。

 僕からすれば自分の業務を「捨てて」代理で入った、しかし4倍の時間をついやした形となり、自分が本来行うべき業務が大幅に遅れてしまいました。

 僕が敬愛する作家は何人かいますが、皆、基本同じことしか伝えていません

 「店の人間をいじめるな」 
 「時間に遅れるな」
 「てめえ一人で生きていると思うな」
 
 簡単に言えば他人を敬意を払う事を忘れるな、ということでして、僕は自分の変わりに業務代行をしていただいた際は

 「ご面倒をかけました」

 と一言、必ず添えます。

 しかし、上司や責任者というのは、自分の都合で別人の時間を奪っても悪いとも思わない、当たり前だと思う人種で、非常に不愉快な気分になります。

 僕が選手ならば、アンチェロッティはとても魅力的な監督です。

 それは彼がミラン、チェルシー、レアル、そしてバイエルンと名門を率いてきた、からではありません。

 レッジアーナ、ユヴェントスやパルマ時代はこっぴどく批判されてきましたし、特にパルマ時代、ゾラの処遇を巡ってひと悶着あったことは有名ですよね。

 アンチェロッティは自分のミスを、しっかりと認識して謝罪できる指揮官であること。

 ここが重要だと思います。

 「ユヴェントス時代、アンリを半年でアーセナルに放出したのは、私の完全なミスだ」
 「彼に謝りたいと思う」

 これだけの優勝回数を持つ指揮官が、こうして誤りを認めるならば、選手がその気持ちを慮るのも当然だと思いますね。
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野心がある、無いを考慮する

2016-08-30 01:21:13 | 日記
 僕は職場でどことなく「虚仮」にされている、と感じることがあります。

 それは40歳で独身、ついでに女の噂すら無い、ということもあるでしょうし、現状維持、つまり職場でもっと上の立場になりたい、という欲求が無いためなのでしょう。

 簡単に言えば野心が無い、というわけですが、僕はサッカー監督のように、人を束ねる、自分が思い描く姿が最高であり、其の為に人を使う、ということに関心がありません。

 でも、野心は基本

 「人には見えないもの」

 だと思います。

 その野心が人前に現れるとどうなるか、これを表現したのが不朽の名作「グレイト・ギャツビー」であり、ショーンk氏の経歴問題と言えます。

 ギャツビーは愚直なまでにデイジーを愛し、そのためには決して褒められない形で金儲けをして、美しい言葉遣い、服装、家具を含む調度品を誂え、いつでもデイジーに会える準備をしました。

 擁護するわけではありませんが、ショーンk氏のスーツの着こなしとたたずまい、抑揚の利いた声、あれを手に入れるには相当な労力が必要だったはずですが、方法論がよくありませんでしたね。

 マンチェスター・シティやパリ・サンジェルマンのように、オーナーが野心を隠さないクラブがいくつもあります。

 一方で彼らがお金を使い、選手を得れば得るほど、レアルやバイエルンは

 「ああ、いきりたっているな」

 とせせら笑う可能性はあります。

 日本に限らずどの世界でも、新興はある種の成金のように見られがちですし、成金が真の存在になるには、何かを庇護する、一定水準の生活を維持せねばなりません。

 野心というのは、とにかく難しい問題です。
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