塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ミスをしたときの気持ちの持ちよう

2015-10-12 23:31:51 | 日記
 日米共に野球が大詰めを迎えています。

 僕は先週に続き今日もポカをしてしまい、先発投手ならば間違いなく2軍に落されていることでしょう。

 そこで考えたのは

 「先発のように間隔があくことと、クローザーのようにミスをしても翌日の登板が有力視されること、どちらが堪えるだろうか」

 というものです。

 先発のように間隔が空く事で、その間自分のミスを責め続ける投手がいるかもしれませんし、クローザーのように、連投することでミスの面影を消すこともあるでしょう。

 大リーグならばトレバー・ホフマンにエリック・ギャンエ
 日本ならば、ジャイアンツの鹿取 ベイスターズの佐々木

 のような、誰もが知るクローザーだって、成功が100パーセントではないですしね。

 サッカーは野球と異なり、間隔をあける事で興行が成り立ちます。

 一方で2014年のワールドカップ、対コートジボワール戦のような逆転負けの時は、どんなに間隔をあけて立ち直る時間を得ようとも、難しいものですよ。

 僕は妻も友人もいませんし、両親にも

 「今日、こんなことがあったんだ」
 「失敗したよ」

 と告げることもしません。

 ワールドカップのような、関係者以外はホテル、キャンプ地の従業員だけに囲まれているとなれば、自分がミスをし多彩の気持ちのありようは、更に難しいと思います。

 2006年の時、選手から

 「ホテルに窓すら無くて窮屈だ」

 と言う声が挙がったそうです。

 選手にとっては窓から景色を眺めるだけも落ち着かせる要素があるかと思うと、プロの怖さを痛感させられます。
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ロシアという特殊な状況

2015-10-12 00:56:31 | 日記
 ロシア代表監督は、日本でも知られたレドニール・スルツキ氏ですが、監督が変わっても先取全てが国内リーグという図式は変わりません。

 世界の潮流と照らし合わせると、ロシア代表の攻勢は稀な形になります。

 サウジアラビアのように、イスラムの戒律を大変順守する国の選手が、他国で暮らしていくのは容易ではないと言います。

 一方でサウジアラビア・リーグに活躍の場を求める外国籍選手もおり、韓国代表として知られたイ・ヨンピョはその代表格と言えます。

 ロシアリーグの報酬が群を抜いて高いのか、それともロシア代表の選手たちに魅力が無いのか、正直僕にはわかりかねます。

 ただスペイン代表が

 「プレミアに移籍する選手が増えたおかげで、戦術の幅が増えた」
 「僕たちは対戦相手を極度に恐れなくなった」

 と言う声が挙がった事を考慮すれば。

 ロシア代表の選手たちが2018年までに、いくらかでも海外リーグに移籍すべきなのかとも思います。

 2002年の日本でさえ、海外に場を求めた選手がいたわけですしね。

 スルツキ監督からすれば、配下の選手が視察しやすいことは便利なのでしょうが、移籍する事で

 様々な芝、審判の笛になれる
 他国の選手を戦う事で、体格、空中戦、敏捷性などその特色を学ぶ

 事も可能でしょう。

 ロシアはファビオ・カペロに支払う給料を捻出できずに、その評判を落としてしまいました。

 試合会場の整備もそうですが、ファーストラウンドを含めたその戦いにも、当然威信がかかる事も間違いありません。
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今は世の中、神経過敏なのだろうか

2015-10-12 00:46:11 | 日記
 最近、スズメバチの駆除特集が放送されますよね。

 僕が小学生の頃も、ブンブン舞っていたと思いますが、当時は何ら気にならなかったのはどうしてでしょうか?

 今は抗菌洗剤、汚れを落とす洗剤が圧倒的なシェアを持ちますが、僕が小学生だった頃の洗剤は、今ほど汚れが落ちなかったのでしょうか?

 サッカーボールを蹴飛ばして帰ってきた僕の服も、水分汚れていたように思いますが。

 ランドセルを雑に扱い、ボールをける、バットを振る、鉄棒で体育の練習をするなど、外遊びを随分した僕たちですが、昔は今ほど神経質にならずに済んでいたのでしょうか?

 それは大人が、子供を見守る視線が穏やかだったのか、今ほど犯罪の危険性が少なかったのか、そのどちらなのでしょうか?

 こうしてみると、2010年代の生活は、どこか窮屈のように思えてきます。

 1980年代の僕には、携帯電話もパソコンもありませんでしたが、

 「知恵と工夫」

 で遊びを空腹を紛らわせていたように思います。

 その知恵というのは

 1・どうやったら野球のボールを失くさないで済むか
 2・サッカーボールを蹴るときに、窓ガラスを割らない蹴り方をいつも考える
 3・おやつをどうやって分けたら、皆が腹が膨れるか

 とう他愛のないものでしたが、

 「携帯の無料通話を利用する」
 「オンラインでゲームをする」

 よりも、凄く価値があるように思えるのは、単なるノスタルジーでしょうか。

 当時だって誘拐事件や、あの怪人21面相事件のような凶悪犯罪はありましたが、僕たちは思うままにボールを蹴って大空翼になりたいと考えていましたしね。

 それだけ今は皆がどこかで

 「神経質になっている」

 証拠かもしれません。

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