塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕のかつての遠い記億(2)

2010-07-22 02:19:01 | 日記
 でも子供は子供なりに知恵を絞り、大人への迷惑を少なくしようと考えたものです。

 野球をする際はボールをカラーボールにして、茂みに紛れ込んでもすぐに見つかるよう工夫しましたし、サッカーボールが庭先に飛んでいってしまった際は

 「ごめんなさい」
 「ボールを取らせてください」

 と声をかけてから取りにいったものです。

 でも怒られるかもしれませんから、本当に猛スピードで庭先から出てきましたけどね。

 丁度このころ、任天堂の「ファミリー・コンピュータ」が爆発的な売れ行きを見せ、今に続く「テレビゲーム世代」が誕生しましたが、今はテレビゲームに偏りしすぎていると感じます。

 確かに僕らもテレビゲームはしましたし、ラジコンやミニ四駆のような、大人がしかめっ面をするようなおもちゃをねだりましたし、「ビックリマン」のようなおまけ付きのお菓子を、われ先にと買い求めた物です。

 でもボールを投げる、ボールを蹴飛ばすことも忘れませんでした。

 今の世の中が殺伐しているのは、不景気で大人が使えるお金が限られている事もそうですが、子供達が無機質な世界に浸りすぎていることも考えられます。

 サッカーや野球をしていれば、擦りむいたり友人と口論に陥ることもありましたし、(判定やチーム替えなど些細なことです)、ドッジボールをしていて頭から道路に落ちて、母が血相変えて僕を病院につれていったこともあります。

 こうした煩わしさや外の空気を吸う事が、
 「人や動物は痛みを感じながら生きている」

 という当たり前の感覚を、当時の僕らに教えてくれたんです。

 でもこれらの出来事を体験できるのは「○○スクール」と名づけられた、屋内施設のもかもしれません。
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僕のかつての遠い記億

2010-07-22 02:10:27 | 日記
 僕は1976年生まれで今年34歳ですが、もしかすると僕らの世代が、空き地でサッカーや野球に熱中した最後の世代かもしれませんね。

 僕は池波正太郎先生のエッセイが大好きで、何冊も買って愛読しています。

 前回のブログでお話した
 「お店との付き合い方」
 も先生に意見を参考にして、自分で取り入れたものです。

 池波作品には、自身の幼い頃を振り返るエピソードが多く出てきますが、 僕はその箇所を読む際に、僕自身の小学生時代を思い出すことがよくあります。

 僕の実家の右斜め前に、当時から空き地だった空間があって、そこでカラーバットとゴムボールでよく野球をしましたし、道路ではドッジボールや電柱をポストに見立てて「PK合戦」と称して、サッカーボールを蹴飛ばしていました。

 今から考えると、周囲の大人やご近所の皆さんはさぞかしうんざりだったでしょうね。

 実際お隣のおじいさんの植木蜂を、サッカーボールで壊してしまい、母親がお酒をもって誤りに出かけた事がありますし、ボールが近隣の家の庭先に入ってしまうと、皆困ってしまったものです。

 サッカーにしても野球にしても、学校の校庭で遊ぶくらいしか方法が無い今、かつての僕らの遊んだ姿は、遠い彼方へ消えようとしています。
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