塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーにスターは必要か?

2009-12-22 01:10:07 | 日記
 僕はサッカーの世界でスターは必要ではあるが、必ずしも必要とはしない。そう考えています。

 まず利点から述べますね。
 スター選手が存在するばクラブは多額の収入が得られますし、代表の場合はテレビの視聴率を含む注目度が格段に高まります。スタンドには観客が押し寄せ、熱気に包まれるはずです。
 プロならばガラガラのスタンドよりも、観客が溢れたスタンドを望むのは当然です。またピッチ上ではスター選手にマークが集中する為、他の選手に与えられる時間とスペースが格段に高まります。
 もちろんスター選手は試合を決定できる「キラー・インスティンクト」の能力を持ち合わせているでしょうから、優れた攻撃で相手にとどめをさせるでしょうし、守備の選手なら完封勝利に導いてくれるかもしれません。
  
 では負の側面を考えてみます。
 この場合はクラブ代表問わず、敗戦の全てをスター選手に転嫁し、敗戦の理由を検証しないことに尽きます。

 特に代表の場合ワールドカップを筆頭とする大きな国際大会は4年に1度のスパンで開かれます。もちろん優勝したチーム以外は4年間屈辱に耐えると同時に、現場検証を行い改善点を明確にした上で、指揮官の招聘や選手選考を行います。

 しかし敗戦を選手に押し付け検証を放棄するようでは何の意味も成しません。
 例えば1998年のワールドカップ対アルゼンチンで退場となったベッカムは、当時イングランド中のメディアとファンから、凄まじいまでのバッシングにあいました。
 確かに彼が退場となったことで、イングランドは不利な状況に追い込まれた事は確かです。

 では指揮官グレン・ホドルの選手選考やフランスで行った合宿の内容、予選グループ3試合とアルゼンチン戦で見せた選手交代を含むゲームプランを、検証しなくてすむかといえばそうではありません。
 確かにベッカムの行動は褒められませんが、これを隠れ蓑にしてもしFAが現場検証を行わなかったとしたら、そちらの方が由々しき問題ですよね。(恐らくレポートをはじめ検証は行っていると思います。)

 僕はスター選手という存在は、「組織を個の持つ力で打破できる選手」と捉えています。だからこそ監督はスターをクラブ、代表の軸として捉え責任を負わせようとします。
 ただ選手の僕たちと同じ人間です。スターという肩書きやファンの視線に絶えられないときだってあるでしょう。

 そんな時僕たちはじっと選手が癒えるのをまってあげるべきだと思います。そうでなければスター選手だけが見せられる、御伽噺の世界のようなプレイを見る事は、今後ますます難しくなるかもしれません。
コメント
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