塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

平山相太が日本代表召集間近

2009-12-16 23:16:25 | 日記
 岡田監督が来年1月6日にイエメンで行われるアジアカップの予選に、FC東京の平山を招集対象として考えているそうです。もし平山の招集が決まれば、アテネ五輪以来の日の丸という形になります。
 
 アテネ五輪前日本で行われたロシア代表との一戦だったと思うのですが、彼が見せた打点の高いヘディングシュートは本当に鮮やかな物で、度肝を抜かれたことを覚えています。

 入学した筑波大学を休学し、1年と半ばオランダリーグヘラクレスでの経験を経てFC東京に入団した平山ですが、入団間もない頃はプレイよりも言動で話題になることがおおかったですね。しかし代表召集の対象となったことは、彼の技術そしてサッカーへの取り組みが認められたということです。

 僕の勝手な推測ですが、平山が召集の対象となるまで成長した背景には、まず外国人選手の移籍が考えられると思います。
 もし前線にルーカスとカポレ、そしてワンチョペが残っていたならば、彼らの代役としてしか見てもらえなかったかもしれません。でもワンチョペが日本の馴染めず、他のふたりも他のクラブへ移籍しました。平山の心の中で「自分が前線の柱にならないといけない。」という使命感が芽生えたのではないでしょうか。

 また今季クラブが2度目となるナビスコカップを獲得する事で、クラブの上昇気流に上手く乗ることができたという見方もできます。クラブの不調と自身の不調が重なりスランプに陥る選手もいますが、平山の場合は好調のサイクルに恵まれたとことですね。

 ただイエメン戦は代表の主力を温存する形、つまり招集選手の多くは代役にすぎないと見られています。でもここで光るものを見せたならばワールドカップ、そしてその先の戦いに活路を見出せるヒントが手に入ると思います。

 平山の空中戦での競り合いやポストプレイは現在の代表に欠けている部分ですから、彼が代表で結果を残せば、森本同様大きな戦力になると思います。
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もし仮にJ3があるとしたら

2009-12-16 18:28:02 | 日記
 15日発売の週刊プレイボーイが、「日本サッカー2011年問題」と題して、評論家による日本のワールドカップ勝利予想と、記者による座談会が数ページ掲載されていました。
 
 「中村俊輔に次ぐスター選手がいない」
 「果たして日本にこんなに多くのプロサッカークラブは必要か」
 「スカイパーフェクトTVが撤退したなら」
 「大分トリニータへの資金援助」

 座談会での内容は上記に記したものでしたが、確かにJリーグはJ2に加盟するクラブの承認を急ぎすぎていると思います。このままでは岐阜や岡山などJ2には資金面で苦労しているクラブがダウンしてしまうかもしれません。
 
 まずJ2の下にJ3を発足させ、選手の受け皿を用意する方法が現実的だと思います。合同トライアウトで合格から漏れた選手、移籍先が見つからない選手は、地域リーグやJFLといったアマチュアリーグでプレイするか、思い切って海外にでるしかありません。
 ならばJ3を立ち上げる事でプロ選手がアマチュアに落ちることなく生計がたてられるなら、それにこしたことは無いと思います。選手達は日本サッカーの財産ですから、彼らを守ることも必要だと思うのです。

 でもこの案では逆にプロクラブが増加するというリスクを含んでいます。
 以前お話したように、僕はJ1が14ないし16クラブで運営できないものかと考えています。やはりJ1は観客に内容の濃い試合を見せなければいけません。簡単にJ2に落ちてしまうクラブがあるとすれば、やはりそれは厳しい見方になることも仕方ありません。
 少数精鋭の実力伯仲のJ1でなければ、これ以上の観客動員を増やす事は厳しいと思います。いかに販促プロモーションが素晴らしくても、試合の内容がお粗末であれば、新規の観客はそっぽを向いてしまうでしょう。

 ですからJ3を創設するならば、現在J1とJ2に加盟しているクラブ、JFLからj3に挙げても問題ないクラブに対し、もう一度財政面とハード面、ソフト面を調べなおして、J1にふさわしくないクラブはJ2へ、J2でも問題ありと判断したクラブはJ3から、再スタートをはかるという案はどうでしょうか。

 J1を14、J2を18そしてJ3を22程度の規模で運営したばらばどうかと僕は思います。J3を創設する際クラブ数が足りないようであれば、JFLからの引き上げの数を増やす事もひとつの方法だと思っています。
 
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バドウとの思い出(2)

2009-12-16 14:23:45 | 日記
 以前練習場でバドウと握手ができたというお話をしました。冬の寒い時期だったのですが、握手をした彼の手は大きく、そして暖かかったことを覚えています。サッカーの監督は戦術やメディア対応に精通していなければいけませんが、それ以上に人間的の魅力ある人物でなければいけないと痛感しました。
 バドウの場合は表現力の豊かさと、器の大きさがそれに当たります。そうでなければ代表監督経験を持つ彼が、日本の長野という地方都市に来る事は無かったでしょうから。

 長野市内に貼られているパルセイロポスターも、バドウが占める面積は大きいものでした。「Vado」という筆記体の後にハートマークをつけるのが彼の流儀なのでしょう。ポスターにもその方法で彼の名が印字されていました。
 彼が不在となる来季、パルセイロのポスターの主役となるのは、選手なのかそれとも新指揮官なのか、今は予想ができません。

 バドウとの契約は今季が最終年だそうで、新指揮官の招聘は以前からフロント内で検討されていたのかもしれません。
 ただ山雅に先を越された事が、パルセイロフロントの焦りを生んでいるのではないかと、やや心配な面があります。今回の指揮官交代もそうです。

 観客動員数やスタジアム整備を含め、パルセイロには克服すべき課題が幾つかあります。僕は確かにJFL昇格を希望するひとりだけども、身近な課題をひとつずつ片付けていき、それからJFL昇格と言う最終の仕上げにとりかかっても遅くは無いと思います。
 
 パルセイロは当日券を大人500円、子供200円で販売していますが、信州ダービーが無くなった来季、1試合の入場者数は1000人から3000人くらいの間で推移すると僕は予想します。
 入場料から運営費を捻出したいのならば、チケットの値をあげるか、観客動員数を増やすしかありません。個人と法人向けのシーズンチケットの値上げも必要かもしれませんが、入場料の値上げよりも観客動員数の増加に的を絞ったほうが良いと思います。

 来季パルセイロの新監督がどんな選手を好み、どんな戦術で指揮するのか今から楽しみです。加えて僕は新しい監督が、チームのプロモーションに長けた人物であったらいいなと思っています。
 うまくいけば年内にもパルセイロの新監督が誕生するかもしれないとのことです。
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バドウとの思い出

2009-12-16 13:00:38 | 日記
 本日16日長野パルセイロは今季限りで、バルディエール・ヴィエイラ監督との契約を終了すると発表しました。僕がパルセイロの存在を知ってゲーム観戦に出かけ始めた時期と、彼がパルセイロの指揮官となった時期が丁度重なるんです。ですから僕にとって初めて体験する現実の監督交代ということになります。

 実は長野パルセイロはバドウが就任した2006年まで「長野エルザ」というクラブ名でした。実は「エルザ」という名前が既に商標登録されていて、将来のJ1昇格を目指すには名前を変更する必要があったんです。そこでポルトガル語で「友愛」を意味するパルセイロが、一般公募で選ばれることになりました。

 バドウはブラジル出身なので、彼の影響も会って応募者の方はポルトガル語からヒントを得たのではないかと思います。

 バドウの奥様はエリカさんといってドイツの方です。
 エリカさんはパルセイロのホームスタジアム「南長野運動公園」まで、自転車でよく観戦に訪れていました。僕も一度だけ試合当日彼女から「ハロー」と声をかけられたことがあります。顔馴染のファンやクラブ関係者とハグして回る姿を、僕も見かけた事が度々あります。
 バドウもエリカさんも人間的に本当に素敵な方達でした。

 バドウはブラジルの人間なのに4バックではなく3バックで戦っていたことが印象的でした。最近はそうでもありませんが、ブラジル国内では1990年ワールドカップ敗退の印象が強い為か、3バックは敬遠傾向にありました。
 でもバドウは3-4-3、3ー4ー1ー2と3バックの布陣を敷くことを躊躇しませんでした。単純に3バックのほうが中央の守備が安定するからかもしれませんが、僕にはとうても興味深く映りました。

 2008年シーズンパルセイロは9月7日の最終節で、松本山雅の信州ダービーに1-0で勝利し、北信越リーグ優勝の美酒に酔いしれます。
 僕も早い段階からチケットを手に入れて観戦に訪れました。得点はFW要田のPKでしたが、PKが決まった瞬間バドウがベンチの周りで小躍りして喜んでいるではありませんか!!

 彼はイランとコスタリカ、オマーンの代表監督を務めた経験がありますし、クラブワールドカップ出場経験もあるディポルティボ・サプリサを、コスタリカ王者に導いたこともあります。
 要田がPKを決めたこと以上の歓喜を、彼はこれまでに幾度となく味わっているはずなのに、まるで初めて味わった歓喜のように全身で嬉しさを味わっている。

 僕はこの時ほど彼がパルセリロの監督でよかったと思った瞬間はありません。
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