「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

結婚したかった人 8

2020-07-14 06:37:04 | 日本文学の革命
何名かの派遣社員とともにこの会社に入社したとき、ロビーで受付を行ったのが彼女だった。朝の太陽がまぶしいのかあるいは疲れ目なのか、目をしばしばさせながら現われたのだが、その様がなんともチャーミングだったのを覚えている。入社してまだ数年目らしく、素朴で初々しい感じがして好感を持てる女性だった。雑誌やグラビアを飾るようないわゆる美人ではないが、素直で自然な感じがして、十分魅力的で美しい女性だった。

あの男のアシスタントとして彼女は主に派遣社員たちの対応をしていた。引っ込み思案な性格なのかテキパキというよりもオズオズと対応しており、しかしそんな姿もやはり好感の持てるものだった。飾らないオットリとした性格なのだが、その中にどこか芯の強さも感じられ、凛とした風格さえ感じさせる女性だった。

聴くと岩手県の「盛岡」出身なのだという。僕も東北の仙台で少年時代の10年間を暮らしたことがあるので、東北の自然―まさに「宮沢賢治の世界」そのままの自然である!―が大好きだった。彼女に小岩井農場に行った時の話などをして笑わせたのだが、「でもそんな観光地なんか行かなくても、普通の夕暮れの光景だけでもホント美しいよね、東北の自然は」と僕が言うと、彼女の目が大きく輝いたのを覚えている。「そうか。彼女も東北の自然の美しさをよく知っているんだな」とますます好感を持った。「東北に別荘を持つことが夢なんですよ。東京で暮らしながらも、時々東北の自然を楽しみに行けるような別荘をね」なんて話もした。

ある日東電前の大通りにあるベンチで昼食のパンを食べているとき、東電の方から彼女が歩いて来るのが見えた。駅の方へ昼食を取りに行くらしく、僕の前を通るときちょっと恥ずかしそうに目をしばしばさせながら通り過ぎて駅の方へ歩いて行った。夏の日差しと青い空の下、そのうしろ姿が実にさわやかに見えて、いつまでも目で追っていたのを覚えている。

なんとかもっと彼女に近づきたいと思い、名刺交換という手段を思いついた。彼女も社会人なのだから名刺交換を日常的にしているだろう。僕もパソコンで手作りした名刺を持っていた。表は普通の名刺らしく「新しい日本文学 関場守良」と記してメールや電話番号を載せているのだが、裏はちょっと笑いを取ろうとして工夫したものになっている。

今では旧札となった漱石の千円札を大事に持っているのだが、そのサイズが名刺にピタリと合うのである。しかもお札の真ん中の「透かし」は漱石の顔に対してマンガの「吹き出し」のようになっている。この「透かし」部分に「応援してね」という文字を入れるとまるで漱石が「応援してね」と喋っているように見えるのだ。お札をコピーすることなど本来犯罪行為なのだが、この名刺大の千円を見て千円札だと勘違いするものなどいない筈だ。そのように工夫して漱石の千円札のコピーを名詞の裏に張り付けたのである。効果はバッチリで名刺を裏返して漱石の「応援してね」を見ると、みんな「クス」っと笑ってくれるのである。

この名刺で名刺交換しようとしたのだが、彼女は男に自分のメールや電話番号が記載されている名刺を渡すのをためらって、おびえた表情を浮かべて断ろうとした。しかしここが漱石の出番とばかりに漱石写真の名刺を彼女に突き付けたのである。すると彼女も何だろうこれはと見入ってしまい、そして「クス」っと笑ってくれたのである。そしてそのまま名刺を受取ってくれた。僕は彼女の名刺を受取ることはできなかったが、彼女は僕の名刺を受取ってくれたのであった。

仲良くなるにつれてちょっといたずらもするようになった。提出書類を彼女に手渡す際、ちょっと強めに握って、彼女が引っ張っても取れないようにしたのである。彼女はどうしていいか分からずに、子供がもどかしがるような表情を浮かべたのだが、その様も実に可愛かった。

僕が『電子同人雑誌の可能性』を本格的に書き始めたのも、この会社に入社してからである。あるとき会社の友人の一人に話のついでにこういうものを書いていると伝えたところ、またたく間に会社中に知れ渡ってしまった。結構面白いと評判になって、東電社員の間でも話題となり、「おお 君が有名な関場君か」と話しかけてきたりする東電社員もいた。彼女も見てくれて、そして面白がってくれた。彼女が見てくれるということで、僕もさらに張り切って面白いものを書こうと、ジョークやユーモアを満載してがんばって書いていったのである。