「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

ある小劇団の解散公演 3

2020-07-26 15:28:30 | 日本文学の革命
ハラハラドキドキ見ていた円陣の回転もやがて止まり、上の円陣の男たちも肩から飛び降りてホッとしたとき、今度は舞台の端から女性の役者たちが現われた。彼女たちは青色の横断幕のようなものを持って舞台前方と後方に現われ横断幕で舞台を覆ったのである。そして「ぷかぷか。ぷかぷか」と可愛らしく口を動かしながら彼女たちが横断幕を揺らすと、まるでそこに本当に水を張ったプールが現われたようになったのだ!

男性陣はこの青い横断幕の後ろでふたたびシンクロナイズドスイミングの演技を始めた。すると今度は本当にプールの中で演技をしているように見えるのである。様々なシンクロナイズドスイミングの技を繰り出してゆき、前とはうって変わって拍手喝采を与えたくなるほどの見事な演技となったのである!

劇が終わったあと、劇団員たちが舞台上に勢ぞろいして、正座をして座った。そして「今までありがとうございました!」と観客席に向かい深々と頭を下げたのである。客席からは期せずしてスタンディングオベーションが起こり、みんな立ち上がって劇団員たちに拍手を送った。僕ももちろん立ち上がって、このような素晴らしい舞台、劇団員たちの熱い思いが込められた舞台に拍手を惜しまなかった。

帰り際ロビーのところで羽原氏らしき人物が目を潤ませ感極まった表情で立っているのを目にした。この劇団に人生を捧げて生きてきたんだなと感じさせるような、そんな感動的な表情だった。

こうして一つの伝統ある小劇団が解散をすることになった。このような面白い舞台を見せてくれる劇団がなくなるのは、また一つ文化の火が消えるようでさみしい限りである。しかしあのシンクロナイズドスイミングで見せてくれたような劇団員の心意気は決して消えることはないだろう。それがいつか新しい未来を切り拓くことを願ってやまないところである。

ある小劇団の解散公演 2

2020-07-26 15:21:54 | 日本文学の革命
ただこの劇の進行を見ていて疑問に思ったことがある。
男子シンクロナイズドスイミング?そんなものあったけ?
シンクロナイズドスイミングは女性がやるスポーツで男性のやるものは見たことがない。あるということを聞いたこともないし、そういうスポーツは―モスクワ五輪の頃まではいざしらず―今はないはずである。

それには二つほど理由が考えられる。日本の海女さんを見れば分かるように毎日長時間水の中に潜っていることは女性にはできるが、男性には肉体的に無理なのだというのが一つ。そしてもう一つが「見るに堪えない」というものである。シンクロナイズドスイミングでは水面から足を突き出してバタつかせたりして演技をするのだが、あれは女性のすらりと長い足が出てくるから、ああ美しいな、華麗な演技だなと感じるのであって、男性のゴツゴツした毛むくじゃらの足が突き出てバタついても、ただ気色悪いだけで目をそむけたくなる。犬神家の一族のような異様で殺伐としたものすら感じさせる。
そのような理由で男子のシンクロナイズドスイミングは行われていない筈なのである。

ところがこの劇では男子のシンクロナイズドスイミングが一つの中心アイテムとなっている。男子シンクロナイズドスイミングの選手たちがたびたび出て来るし、主人公の女性の兄もその選手の一人である。しかし彼らが練習をしている様子は一向に見えない。第一水を張ることもできないこの小さな舞台上でシンクロナイズドスイミングなど出来る訳がないのである。

劇が進行し、兄の結婚式が始まり、主人公の女性も希望を取り戻した頃、突然舞台から誰もいなくなった。そしてしばらくすると舞台の端から10数名の男性が行進してきたのである。みんな競泳パンツ一枚を付けただけの裸で、ちょうどシンクロナイズドスイミングで選手がプールに向かう際にやるような行進で舞台中央に出て来たのだ。それまで新聞記者など様々な役をやっていた男性役者たちが総出で出て来たらしく、中には上司役をしていたハゲ頭のおじさんも競泳パンツ一枚の裸で出て来ていた。

男性陣は舞台中央に来ると、寝転がって足を突き出したり、観客席に大股を開いたりして、様々なシンクロナイズドスイミングの演技をやり始めた。だがその様は滑稽というかグロテスクというか「おいおい。ちょっと待ってくれよ」と言いたくなるような光景だった。

ひとしきり演技を終えたあと、10名ほどの男性陣が円陣を組み、その中央に何か平たい円盤のようなものを置いた。そして残り5名ほどが円陣を組んでいる男性たちの上にはい上がり、その肩を足場にして立ち上がり、そこでも円陣を組んだ。二段重ねの円陣が出来たのであり、なんだかふんどし男たちの雄壮な裸祭りでも見ているような力強い光景となった。

それから下の円陣の男たちが回り始めたのである。肩の上では上の円陣の男たちが踏ん張っており、それを乗せたままぐるぐる回り始めたのだ。二段重ねの裸の男たちの円陣がぐるぐる回るのである。それは実に力強い雄壮な光景であった。
スピードが乗ってくると下の円陣の男の数名が両足をあの円盤に乗せた。この円盤は実は回転する装置で車輪でいえば車軸に相当する役割を果たしているのである。そこに両足を乗せた男たちはまさに生きたホイールであり、自分たちが踏ん張ることにより円運動を滑らかなものにしているのだ。

ぐるぐる力強く雄壮に回転する二段重ねの円陣。下の男たちは必死に手をつないで駆け回り、ホイール役の男たちは歯を食いしばって円盤上で体を硬直させ、上の円陣の男たちも必死で肩の上で足を踏ん張っている(汗をかいている筈なのでつるつる滑りやすいだろうに)。誰か一人手を離したり足を滑らせたりしたらこの円陣はたちまち崩壊し、ヘタしたら大ケガをしてしまうのである。まさに力強い偉業であり、雄壮なスペクタクルであり、常日頃鍛えあげてきた劇団員の肉体パワーと精神的絆ここにあり!と見せつけるような離れ技であった。

ある小劇団の解散公演 1

2020-07-26 15:06:45 | 日本文学の革命
このところ落ち込むことが続いていて、何も手がつかない無為な日々を送っている。何とも気力が湧かないまま4連休を迎えたのだが、別に何をする予定もなかった。ただ以前に注文していた小劇団の公演チケットが届いていた。この劇団は昭和芸能舎という劇団で、羽原大介氏という映画『フラガール』やNHKのドラマ『とんび』を作った劇作家が率いている劇団なのだが、今回が解散公演となるのだという。コロナの影響で劇団やコンサート関係者が苦境に立たされているが、この昭和芸能舎もそうで(「昭和」というからにはかなりの伝統を持った劇団なのだろう)これを最後に劇団の幕を下ろすことになったのだ。

以前この劇団による『劇場版 フラガール』をTBSのすぐ近くにある赤坂レッドシアターという小劇場で観たことがある。フェイスブックで友達になったこの劇団所属の女優の人に誘われたから行ったのだが(どうも美人に誘われると別に何にもならないのにホイホイ行ってしまうのだが)、地下にあるほんとに小さな劇場で舞台も小じんまりとしており舞台の奥行きも数メートルしかなかった。だが劇自体は結構味があり楽しめるものだった。ことに最後のフラダンスの場面は圧巻だった。20名ほどの劇団女優たちが小さな舞台上に溢れんばかりに勢ぞろいして、明るい情熱的なハワイアンダンスを激しくさわやかに踊ったのだが、その美しさとエネルギーにはまさに圧倒されてしまった。舞台が終わったあと平服に着替えた劇団の人たちが観客席に来て、観客と交歓したりして、そんなことにも小劇団ならではの魅力を感じたりもした。
今回が最後の公演となるというので、コロナは怖いけどやはり行ってみようと、24日金曜日(この日がちょうど公演の最終日になる)赤坂のレッドシアターに出かけて行った。

赤坂レッドシアターではコロナ対策をしっかりしていて、まず入口のところで頭に小銃のようなものを突きつけられて検温され、地下の階段のところで手の消毒をさせられた。従業員は皆フェイスシールドを付けており、チケット切りも自分でさせられた。座席も一席ごとに空席化されていて、僕の両隣りの席は空席となっていた。『フラガール』のときは満席のぎゅうぎゅう詰め状態で、僕などは臨時に通路に作られた座席に身を狭めながら見ていたのだが、そのときとはたいへんな違いだ。これでは採算も取れそうにないのだが、それを度外視してでも最後の公演を行いたかったのだろう。

今回の公演は『モスクワ 1980 幻の日本代表取材日記』で、これはボイコットに終わった幻のモスクワ五輪を描いた劇である。劇の主人公となる女性―入社3年目のまだ駆け出しの新聞記者なのだが(この女性がフェイスブックで僕の友達となっている女性である)、彼女にモスクワ五輪の代表取材という大役が任されるところから劇が始まる。喜んだ彼女はカメラマンと一緒に取材に駆け回り、男子シンクロナイズスイミングの選手たちを取材したりして、新聞の一面トップ記事を書くという新聞記者の憧れを目指してがんばってゆく。しかし社の上層部ではモスクワ五輪がボイコットに終わることをすでに知っており、事情を知っている者は誰もやりたがらないので、いわば彼女に貧乏くじを引かせたのだ。何も知らない彼女は取材にがんばるとともに、彼女の母や妹や弟や生き別れになった兄(この兄は男子シンクロナイズドスイミングでモスクワを目指している選手になっていた)などの家族たち―それぞれ離婚の傷や就職の不安や引きこもりなどの苦しみを抱えている―を励まして「一緒にモスクワに行こう!」などと言ってがんばる。

しかしやがてモスクワ五輪がアメリカや日本政府の思惑でボイコットされることが明らかになる。彼女は自分が貧乏くじを引かされたことを知り、失望して退社まで決意する。しかし兄の幸せな結婚や恋人の励ましなどもあり、もう一度夢を目指そうと思い返し、「モスクワがダメならロサンジェルスがあるさ」と再び前へ進んで行こうとするという物語である。