「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

結婚したかった人 6

2020-07-12 14:03:12 | 日本文学の革命
新宿のコールセンターで働いていた時のことである。エネオスという石油会社が電力事業に参入する一環で新たに設けたコールセンターで、数十人規模の部署であり、若い人間が集まった活気のある部署であった。僕もその一人として働いていたのだが、そのオフィスの片隅にひっそりと座っている正社員の男がいた。いつも書類に目を通しているだけで、これといって何か仕事らしきことをするでもなく、誰かと話をしているところも見たことがない。ただ上級スタッフの人から「この人のデスクの前を通るときは気をつけるようにして」と注意を受けていた。実は彼こそが首切り担当役人であり、このオフィスにいる人間たちに目を光らせ、首にする人間を選定していたのである。だが普段はそんな素振りはまったく見せずに書類だけに目を通している。ただほんの時の間だが「コブラのような目」で周囲を見ている時があったのを覚えている。

僕がその部署で働いて二、三か月たった頃、突然移動となった。もう電話すらも取れない窓際への移動であり、仕事もただ封筒を折るだけの屈辱的な仕事となった。つまり首切りと選定されたのである。これまでの仕事でミスをした覚えはないので、やはり僕のあの性格―女性をきちんと女と見てやさしくする。ただ別に下心があるわけではないが―が災いして「恋愛禁止」の掟に抵触していると判断されたのだろう。
契約期間が終わる前に辞めるともうその派遣会社から仕事をもらえなくなるかもしれない。だから任期満了までここに居続けることにしたが、仕事は屈辱的だし、いやったらしいいじめはしてくるし、皆のさらし者にされているしで、嫌な日々が続いていた。

そんなとき僕の隣の席に女性が移動してきた。彼女も派遣社員なのだがジェネラルマネージャーというリーダー格で派遣されてきた女性で、若くてかわいらしい女性だった。実は彼女も窓際に追いやられてきたのである。彼女はいつもにこにこ穏やかな笑顔を浮かべているかわいらしい女性なのだが、よく言えばオットリ、悪く言えばポワワ〜ンとした人だった。昔であればお茶汲みOL、職場をなごやかにする花として立派にオフィス内で生息できたのだが、ジェネラルマネージャーなどというキリキリ働かねばならない職には合わなかったのだろう。いつもにこにこしているところも笑ってごまかしていると取られたのかも知れない。本業を追われ、窓際に追いやられ、僕のように封筒を折る仕事をさせられたのである。

こういう仕打ちには慣れっこになっている僕とは違って、彼女はすっかり落ち込んで、封筒を折りながら今にも泣き出しそうな様子をしていた。僕はこれはなんとかしてやらねばと思い、いろいろ元気づけたり、得意のユーモアや道化で彼女を笑わせたり、彼女を慰めるために力を尽くした。時おり「コブラのような目」が注がれていることに気づいたが、そんなことは無視して、窓際に追いやられた者同士仲良くなっていった。

やがて彼女は窓際を離れ、本業に戻っていった。彼女の場合窓際に追いやったのは一時的なことであり、本業をしっかりやらないと今度こそ首にするぞという脅しだったのだろう。

やがて僕の契約期間が終わる前日となった。翌日にはもうこの職場を去ることになる。ここに至って僕は彼女をデートに誘ってみようと決意した。コブラの監視網が厳しくて今まで手も足も出なかったが、もう明日辞めるのだからそんなことは恐くない。今日デートの誘いをして、明日返事を受け取り、ダメだったらそのまま立ち去ればいいだけだ。
そう決意して、食堂にいた彼女と二言三言話したあと、さりげなく「チケットが手に入ったので一緒にジブリ美術館に行きませんか」と書いた紙片を彼女に手渡して、その場を立ち去っていった。

僕が彼女に紙片を手渡したのが4時30分のこと。それから5時30分に定時退社して、1時間半ほどかけて家にたどり着いた。そしてカバンの奥のケータイを取り出したとき、ビックリしてしまった。派遣会社から着信の嵐が届いていたのである。カバンの奥に突っ込んでいたからまるで気づかなかったのだ。派遣会社に電話したところ、「あなたジェネラルマネージャーの女性をデートに誘いましたね。そういうことをする人間はこれ以上雇うことはできないと先方様から言われました。今日で雇用は打ち切りです」と告げられた。

どうやら僕から紙片を渡されてデートに誘われたことを彼女が職場仲間に喋ったらしいのである。それがコブラの監視網に引っかかってコブラの知るところとなり、即座に手を打ってきたのだろう。
結局彼女の返事を聞くこともできないままその職場を去ることとなった。


結婚したかった人 5

2020-07-12 13:57:11 | 日本文学の革命
僕自身は女遊びを楽しむというタイプではなく、いたって真面目な人間である。女に手が早いこともなく、セックス目当てで女性を付け狙ったりもしない人間である。
ただ僕にはフランス人のような性格があり、女性を見ると何はともあれやさしくしてやりたくなるのである。きれいな人には「ああ きれいですね」と素直に感嘆し、かわいい子には「君 かわいいね」と愛情を注ぎ、そうでない人にもそれなりにいいところを見つけてやさしくして、女性一般に対して高い尊敬を払っているのだ。ジョークやユーモアが得意なので、女性の前でコミカルに道化を演じ、女性たちを笑わせたり楽しませたりすることも好きである。

やはりこの性格も日本文学と関係があるのかも知れない。日本文学が実現を目指しているものの一つに「愛の実現」がある。「愛の実現」というとキザに聞こえるが、これは実際に男女が睦み合ってどうのこうのというのとはチョット違って、より深層のレベルのものである。たとえば美しい花が咲き出るためにはそれにふさわしい豊かな土壌が必要なように、恋愛という美しい花が咲くためにはそれにふさわしい土壌が用意されていなければならないのである。そうでないとむなしい雑草やあだ花ばかりが生え出ることになる。

この土壌レベルで近現代の日本は病んでいるのである。それは二葉亭四迷の言葉では「日本文明の裏面」であり、僕に言わせると「男性性と女性性の分裂状態」であり、日本文明の根源にある深刻な病いなのである。それは歴史的には武士と公家の対立、東日本と西日本の対立、江戸・東京と京都の対立として現われたものであり、男性性と女性性が愛し合い助け合うどころか、お互いを憎み合い滅ぼし合おうとする破滅的な関係なのである。
この破滅的な関係が土壌レベルであるからこそ近現代の日本で「愛の実現」が不可能になっているのだ。これを何とかしよう、この日本文化の深層にある分裂状態を克服し、新しい調和「愛の実現」をもたらそうとしてきたのが日本文学で、僕もやはり同じものを目指しているので自然と「愛の担い手」ともいうべき女性たちに高い尊敬の念を持つようになったのだろう。

ところが僕のこの性格や言動は日本の会社にとってまさに「要注意」に映るのだ。「アイツ。恋愛しそうだから気をつけろ」とたちまちブラックリストに載せられてしまうのである。

ユニクロで日雇い派遣のバイトをした時のことである。ユニクロの仕事といっても表に出ることは全くなく、「スタッフルーム」という扉の向こうで箱から商品を出したり商品にタグ付けしたりする仕事である。その時行ったのは上野御徒町に新装開店したユニクロのショップで、開店祝いということでパンダの着ぐるみを来た人が(僕と同じような日雇い派遣の人間である。僕もちょっとやってみたかった)風船を配ったりしていた。ユニクロの控室の壁には大きな組織図が貼ってあった。様々な役職と担当者の名前が書いてあり、それが階層図となっているのであるが、驚いたことに赤のマジックペンで手書きで書かれていたのである。「こんな組織図などいつでも書き変えられるんだぞ」という社風めいたものを感じさせた。その控室の片隅に座り、いつまでも泣いている若者がいた。社員なのかバイトなのか分からないが「ぼくだってがんばっているのに…」といつまでもクスンクスン泣いているのである。それを周りのスタッフがだれも見向きもしないのだ。なんだかブラックな雰囲気を感じさせる光景だった。

そこで働いているうちに嬉しいことが起こった。やたらモテるのである。ユニクロのきれいでかわいい従業員たちからモテモテ状態になったのだ。僕がこういう性格だから女性たちを素直に誉めたり喜ばしたりするし、ユーモアや道化で笑わせたりするしで、たちまち人気者になり他部署からもわざわざ僕を見に来る女性もいたほどだ。ただこれは「干天に慈雨」でひでり続きのところに面白いことをする男が現われたから彼女たちも喜んだのであろう。普段はここでも「恋愛禁止」が徹底されていることが、逆に推測できるものである。

しばらくしてチームリーダーの男が恐い顔をして近づいてきた。僕にいくつか指示を出してきたのだが、そのうちに自分に言い聞かせるように、あるいは僕を脅すように「ここにはきれいな子やかわいい子はいない。一人もいない」と言った。実際にはきれいな子やかわいい子がたくさんいるのにである。あるいはこのフレーズは彼が常日頃自分に言い聞かせている言葉なのかも知れない。
それから間もなく僕は小さな小部屋に隔離されて、ひたすらチラシ折りの仕事をさせられ、もう女性従業員と接触することもなくその仕事は終わった。

結婚したかった人 4

2020-07-12 13:51:08 | 日本文学の革命
今の日本の会社に厳然として存在している掟「恋愛禁止」。
男は同僚の女性を女として見ることは許されず、また会話の際にもそのような素振りを見せることは絶対に許されない。会社内で恋愛が発生することは原則禁止であり、そのような兆候があれば即座に鎮圧されてしまう。そのためのマニュアルや監視網も整備されている。そのような「恋愛禁止」という掟が間違いなく今の日本の会社には存在しているのだ。

ただ表立った会社規定として明文化されている訳ではない。中国では雇用契約の条項の中に「会社内恋愛禁止。もし恋愛をした者、しようとした者がいたら即刻解雇」という条項があるそうだが、日本の会社はさすがにそこまでは出来ないのである。もしそんな形で明文化したらマスコミが「恋愛禁止をしている会社とはどのような会社なのだろう」と興味津々で取材に来るかも知れない。コメンテーターたちが「これは会社規定うんぬんより先に人権を侵害しているのではないか。基本的人権に反しているのではないか」と疑義を呈してくるかも知れない。
またこんな規定があることを知ったら女性社員たちの反発を買うことは必至である。なにしろ彼女たちの「最も大切なもの」を踏みにじるような規定なのである。怒った彼女たちはSNSや就活サイトでさんざんにこの会社の悪口を書き立てるだろう。結果その会社への女性の求人が激減し、また「こんな所にいられるか!」と女性社員たちの大量退職を招くかも知れない。

だから表立って明文化できないのだが、しかし日本的に裏ではきっちりと行っているのである。男女の恋愛はセクハラ騒動を引き起こすかも知れない。会社内の風紀を乱すものでもある。男女間の恋愛はしばしば感情的なトラブルになり、当人たちの退社を招くかも知れない。そうなると会社の経済的損失ともなる。恋愛とは日本の会社にとって疫病のように忌み嫌われる存在であり、会社の備品を盗む窃盗行為にも相当するものであり、未然にその発生を防止しなければならないトラブルメーカーなのである。

たしかに恋愛は会社にとって困った存在なのだが、しかし恋愛にもいいところはあると僕は思う。それは人間の人生にとって最も大切な体験の一つである。人間の人格と魂を発展させる最も重要な原動力でもある。人間にとって素晴らしい恋愛の体験は人生の中で最も美しい思い出の一つになる。会社の利害うんぬんで無下に禁じられていいようなものではないのである。

日本の会社も昔は恋愛に対して大らかなところがあって、会社内の恋愛を大目に見たり、社内結婚を推奨したりしたところもあったのだが、今の日本の会社ではそういうところが全くなくなって「恋愛禁止」が横行するようになり、それは異常なレベルにまで達しているのである

ある賃貸住宅関係のコールセンターで短期の派遣として働いていた時のことである。オフィス内で珍しく外国人の女性が働いていた。外国人労働者が多い昨今だから外国人向けのオペレーターをしていたのだろう。ブラジル人なのだろうか、それとも中東系の人なのだろうか。きれいな人なのでつい関心を持ってしまったのだが、ある時偶然帰り道が一緒になった。その機会に「どこの国の人なんですか」と彼女に質問してみたのだが、その時横にいた同じコールセンターで働いていたおばさんが「まあ!なんてことをするの!この人」とばかりに目を丸くして驚いたのである。ただ質問しただけなのに大悪人のようににらまれてしまったのだ。こっちもビックリして「失礼しました」と答えも聞かずに足早に立ち去って行ったが。

コンビニに商品を卸しているある食品流通会社に勤めていた時のことである。帰りの送迎バスを待っているとき、しばしば一緒に待っている女性がいた。事務所で働いている正社員の女性できれいな女性だった。ある日雨が降っていて送迎バスがなかなかやって来ないときのことだった。あまり長くそばにいるものだから、ちょっと話かけてみようかと思い、「やはり雨になるとバスってのはすぐに遅れちゃうものですね」と話しかけてみた。彼女も思い当たるようで黙って微笑んでいた。しかしそれが問題になったのである。彼女が働いている事務所は財閥系の親会社の部署で、僕が働いている肉体労働の現場はその子会社が受け持っている部署である。その親会社から「うちの女子社員に話しかけてくる男がいる」というクレームが寄せられてきたらしいのだ。子会社の人間たちはすぐに対応をとって、ある時「ここで待っていろ」という指示を出してきた。ところが全然誰も現われない。待ちくたびれ昼休みの時間になったので昼食を取りに行ったのだが、返ってきてみると「なぜ命令通りにしないんだ。もういい。帰れ!」と帰されてしまったのである。翌日派遣会社から連絡があり、その会社との契約は打ち切られてしまったのである。


結婚したかった人 3

2020-07-12 13:44:38 | 日本文学の革命
経済的な仕事に求める条件は人それぞれだろうが、僕の場合はただ一つ「文学の邪魔をしないもの」これである。どんなに待遇が良くても長時間労働をさせて文学の時間を奪うものは絶対ご免だし、頭の中を経済的雑務で一杯にされて文学に使う余裕を無くさせるような仕事もご免である。ただそれ以外の仕事ならすべてOKで、たとえ人からバカにされるような仕事でも構うことなく就いてきた。

どんな仕事でもそれなりに楽しみながら働いてきたのだが、ただ一つだけ絶対にやりたくない仕事があった。これだけは金を積まれてもやりたくないという仕事で、それは「正社員」である。

まさに「正社員」は僕が忌避してきた条件そのものである。長時間労働は当たり前だし、過酷な仕事を課されるし、会社の仕事以外何もできないようにされてしまう。さらには人格そのものを「会社化」されてしまう。会社の価値観に同調することが強要され、会社の意向に服従することが強制され、会社が意のままに動かすことができる「兵隊」にされてしまうのだ。

僕は文学なんかを愛好していることからも分かる通り、「物質よりも精神」「集団よりも個人」を重んじる人間である。「自分の魂」「自分の生きる道」を何よりも重んじ、それが奪われることを何より嫌がるタイプの人間なのである。そんな人間にとって、それがどんなに強大であろうが経済的待遇が良かろうが、大軍団の「兵隊」にされ、一切の精神的自由を奪われることは全く堪え難いことで、それは「自分の魂」「自分の生きる道」を見失ってしまうことなのである。

そういう訳で「正社員」にだけはならないようにしてアルバイトや派遣で生きてきたのだが、しかし日本社会はそのような人間の存在を許そうとしないのである。日本社会や日本の会社からはひどい目にあわされ続けてきたと言っていい。

女性や主婦なら、本質的に「兵隊」にすることができない存在だから、会社も絶対服従を強要したりしない。若者も大目に見ていて、いずれは社会に出て社会の掟を嫌というほど味わったら服従するようになるから、今は好きにさせている。しかし僕のようにいい大人の男が、何もかも知っていながらなおも会社の秩序に服従しようとしないことは、たとえ相手がアルバイトや派遣であろうと、会社にとって許し難いことなのである。ヘタをしたら僕の精神に感染して自分たちの価値観さえ動揺しかねない。そこで「コイツはダメなやつだ」「仕事のできないやつだ」「兵隊失格だ」ということでさんざんに首にされてきた。

何十年もかけて30回以上首にされただろう。向こうは会社的価値観に完全に染まるよう強制してきて、僕の方はいやそれは困る、会社の業務には服従するが精神まで染められるのはご免だね、なにより文学ができなくなる、という居り合うことができない対立が生じ、首にされ続けてきたのだ(ただこの30回以上にはすぐ後で述べる「会社の掟」に違反したからのものも多い)。しかも首にする際には日本の会社のいやったらしいところで、入念にいじめてさらし者にしてから首にしてくるのである。まさに「これでもか!」とばかりにいじめてくるのだ。中にはわざとケガまで負わせて辞めさせようとしてくる現場もあった。「ざまあ見ろ!」と面白がってやっているのだろうが、これなどは傷害罪に問えるほどの行為であり、「犯罪」のレベルにまで達したいじめである。

「正社員」にならなかったこと、会社的価値観に完全服従しなかったことで、さんざんな目に遭い続けてきたが、しかしいいこともあった。文学の仕事を進展させることができて、まさに今達成できる位置に立つことができたのである!桑田佳祐や中島みゆきや宮崎駿、そして昔の日本文学者たちという「同志」ともいうべき精神的仲間たちも持つことができた。また本などを通じて世界中の知性や芸術家たちと深い心の交流を持つこともできるようになった。これらはまさに「正社員」にならなかったからこそ出来たものなのである。

たしかに貧乏に追い込まれ、いじめにあい、さんざんにバカにされさんざんに首にされてきた。しかし「自分の魂」「自分の生きる道」だけはしっかりと確保できたのであり、それに則って未来へ向けて僕なりに充実した人生を歩んでゆくことが今できるのである。

このように「正社員」になることを拒否したこと、せざるを得なかったこと、それが僕が結婚できなかった大きな理由の一つである。男が結婚できる第一の条件は社会的地位や十分な定収入があることである。そのそもそもの第一条件がなかったのだから、これでは結婚できる訳がない。お見合いパーティーに参加する資格すらなかったのである!

これと並んで僕が結婚できなかった原因となったものがもう一つある。それは今の日本の会社の隠れた掟となっているもの、「恋愛禁止」である。

結婚したかった人 2

2020-07-12 13:37:19 | 日本文学の革命
身体的精神的に別に欠陥がある訳ではなく、ホモみたいな性癖もないごく普通の男である僕が、なぜ今まで結婚できなかったのか。それにはいくつかの原因がある

まず第一はやはり「文学」である。これに身を捧げてしまったために結婚ができなかったのだ。

僕がはじめて文学作品を書いたのは大学を中退したあと、2年ほどかけて書いた『ふたつにしてひとつのもの』という小説である。今読んでもそれほど悪いものではないし結構いいところもあるのだが、従来のいわゆる小説らしい小説とはかけ離れた構成をしており、「対人恐怖症者」や「外国主義者」などの人の神経を逆なでするような章も含んでおり、まるで認められることはなかった。

しかし現実の世の中はこの小説で予見した通りに進んでいるように当時の僕には見えて(今でもそう思っているが)、93年当時小沢一郎たちの「政治改革」が起こり、自民党が大分裂し、今につながるような社会の大変動が始まった時で、社会の表面に一種異様な「危険な潮流」が頭をもたげ始めた時だった。社会が危険な方向に進もうとしていると直感した僕は「こうなったら自分一人でもやってやろう!」と決意し「外国主義はもう時代遅れです」という看板を掲げて渋谷の街頭スクランブル交差点のあたりに立ち、「反外国主義運動」を始めた。今ここで外国主義を打ち壊すことで、生じ始めた戦前のような「危険な潮流」を未然に阻止しようとしたのである(この辺のことは込み入った話になるのでここでは詳しく書けないが)。

ほどなく桑田佳祐をはじめとするミュージシャンたちが立ち上がってくれたおかげで、外国主義の打ち壊しに成功し、「危険な潮流」をとりあえずは阻止することができた。
しかしこれで終わりではなく、その向こうに何を建設できるかという課題が続くことになる。これができないとすべては台無しとなり、ふたたび「危険な潮流」が支配的となるだろう。

ミュージシャンたちにそれができるかというと、かなりあやしい(現に桑田佳祐でさえいまだに出来ずにいる)。その頃あの『ふたつにしてひとつのもの』を書いたおかげで日本文学の本質をつかめた僕は、日本文学の中にこそこの課題に答えるものがあると確信するようになった。そしてそれを実現するために日本文学の復活と再前進に取り組むことになったのだが、それからが僕の何十年も続くことになる「苦難の人生」の始まりとなった。

桑田佳祐たちのような華々しい活躍をすることもなく、全く地味な文学とその研究の日々である。周囲からはまったく理解されないし、孤独なままで進めなければならない。一番僕の活動を理解してくれそうな方面―文学界や出版界も、過去の権威にあぐらをかいたまま本質的なことは何もせずに衰退してゆくばかりで、理解する能力すら失ってしまっている。経済的支援などはどこからもなく、自分で経済的仕事をしながら食いつないで、この活動をしてゆかなければならないのである。

周囲からの無理解(ていうかはっきり言ってバカにされ続けてきたのである)、経済的困窮と生活難、それでも進めてゆかなければならない超難しい課題「日本文学の復活」、そのようなものを背負いながら生きてきたのであった。