仏の目から見た歴史論。戦前の日本は、悪い国だったのか? という問題について、前回は、幕末の開国から日清戦争までを見ました。今日は、その後の日露戦争をどうみればいいのかについて、ご紹介します。
幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
日本は日清戦争に勝って、清国から台湾や遼東半島などを割譲されましたが、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉によって、遼東半島を清国に返還させられました。
ロシアは、不凍港を持つことが昔からの夢であり、歴史的に南下政策をとっていたため、日本が得た遼東半島を、フランスやドイツと組んで強引に返還させたのです。
日本は明治以降、「諸外国と対等の立場に立ちたい」という国民的願いの下に努力してきていたのですが、三国干渉によって屈辱を味わい、「次はロシアとぶつかるだろう」という想定の下に準備を進めました。
そして、日清戦争の十年後、日露戦争(一九〇四~一九〇五)が始まったのです。
当時、ロシアは日本の十倍の国力と軍事力を持っていました。そういう国と戦えば普通は負けるでしょうから、「日本に勝ち目がある」と思っている人はほとんどいませんでした。それが世界の一般的な見方であり、日本人自身も、「たぶん負けるだろう」と思っていたのです。
そのときに、やや神がかり的ですが、坂本龍馬の霊が明治天皇の皇后の夢枕に立ち、「この戦いには勝てます。心配は要りません」と告げたことが記録に遺っています。この点について、私が龍馬の霊に訊いてみたところ、確かに言ったと彼は述べていました。
そのようなことを龍馬の霊が告げに来なければならないほど、日本の国民は、「日本はもう終わりなのではないか」という終末論に支配されていたようです。
ところが、日本はロシアの拠点である旅順を落とし、東郷平八郎や名参謀・秋山真之などの努力によってバルチック艦隊を破り、奇跡的な逆転劇でロシアに勝ちました。
ただ、実際には日本の国力はすでに底をついており、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが仲裁に入ってくれて判定勝ちをしたようなものだったので、日本にそれほど勝利感はありませんでした。
しかし、これが一つのきっかけになり、欧米列強の植民地政策そのものがぐらつきはじめたのです。
そのころのロシアの騎兵は、ドイツもフランスもかなわないぐらい、非常に強いものでした。そのロシアに日本が勝ったため、「黄色い日本人が白人に勝った」ということで、いわゆる有色人種、黒人や黄色い人たちはびっくりしました。
なぜなら、当時は、「白人は優秀な人種である」という白人優位説が強く、「有色人種が白人に支配されるのは、しかたのないことだ」というような思想や、それを根拠にした植民地主義、帝国主義が世界中を覆っていたからです。
したがって、「日露戦争での日本の勝利が欧米列強の植民地政策をぐらつかせた」という考え方自体は、決して右翼的なものではありません。世界史的に見ても、「日露戦争は、欧米列強による植民地化の流れにおいて、大きなターニングポイントとなる歴史的事件だった」と言ってよいのです。
(76~79ページ)
日露戦争における日本の勝利は、客観的にみても、欧米列強による植民地化の流れにおいて、大きなターニングポイントとなる歴史的事件だった──。
では、この日露戦争は、朝鮮半島にどういう影響を及ぼしたんでしょうか。
このあたりは、また次の機会にご紹介したいと思います!
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『奇跡の法』
大川隆法著 |
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