ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



彼岸の中日だよね。先祖供養しなきゃね。なにか注意点って、あるの? なーんて素朴な疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 教団によっては、先祖供養を重大視するあまり、朝も昼も晩も、年中無休で先祖供養ばかりを行っているところがあります。それが正しいかといえば、霊的な真実を見るかぎり、一定の疑問があります。
 「先祖を供養したい」という子孫の念が、愛念として実る場合はよいのですが、そうではない場合があります。それは、子孫の側、生きている人間の側が、何とか救われたくて供養している場合です。(中略)
 ここに、微妙ながら、すり替えの起きる可能性があります。供養というものは、本来は「与える愛」であるにもかかわらず、子孫の側が、わが身かわいさ、浮世の生きやすさのために、「先祖が悪さをしないように」という思いで供養していると、そこに「奪う愛」が生じやすいのです。(中略)要するに、自己責任がゼロで、すべてを先祖のせいにしている場合です。
 この場合は、供養しても供養しても、先祖は、「そうか、そんなに幸せになりたいのか。では、もっと供養しろ」と、毎日、子孫の家のなかに居座るのです。そうなると、その先祖は、あの世での修行をまったくしなくなります。
 生前、間違った生き方をした場合には、地獄で苦しみを受けることが修行なのです。これは大変ではあるのですが、一定期間、地獄の苦しみを経ることによって、「自分はここが間違っていたのだな」と悟るわけです。
 しかし、地獄から出てきて家のなかに居座っている先祖は、そういう修行をせずに、「もっと供養しろ」「お供えのご飯が少ない」「こんな安物の花ではだめだ」「嫁の心掛けがよくない」「息子が、供養しないで酒ばかり飲んでいる」など、何だかんだとケチをつけるのです。
 なかには、「自分がこんなに苦しんでいるのは、子孫が、ぐうたらで、一生懸命に供養しないからだ。みんな子孫が悪いのだ。だから、子孫を懲らしめてやらなくてはいかん。子供の一人ぐらい、事故にでも遭わせてやろうか」などと考え、実際に悪さをする先祖もいます。
 この辺が先祖供養の非常に難しいところです。(中略)
 心が調和していて光の強い人、守護霊の光が降りていて人々を救済する力を持っている人が、先祖供養をした場合には、その光は、確かにあの世の霊人に届き、彼らの苦しみを軽減する力を持っています。
 しかし、そうではない人が、「先祖の霊さえ追い払えば、何とか幸福になれる」と思い、自分が救われたい一心で供養している場合には、先祖と子孫が〝同じ穴のムジナ″になり、一緒に苦しんでいるというケースが多いのです。
(175~180ページ)

毎日毎日、生きている子孫が、何とか救われたくて先祖供養ばかりしている場合、微妙にすり替えが起きやすい。

この場合、もっと供養しろと、子孫の家のなかに居座ったり、子孫が悪いから懲らしめなくてはならないなどと考え、実際に悪さをする先祖もいる。

心が調和していて光の強い人、守護霊の光が降りていて人々を救済する力を持っている人ではない人が、自分が救われたい一心で供養している場合には、先祖と子孫が〝同じ穴のムジナ″になり、一緒に苦しんでいるというケースが多い──。

先祖供養は、まずは、幸福の科学の支部で、8月中旬に行なわれる「お盆の幸福供養大祭」に参加するのがお勧め、ですね。そして、宇都宮の総本山・正心館や、那須の総本山・那須精舎などでは、この時期、「総本山・先祖供養大祭」が行なわれていると思います。

あの世の霊人(ご先祖)に、光を確かに手向けるためには、やはり、幸福の科学の光の拠点の行事に参加するのが安心だと私は思っているのです。

 

『永遠の生命の世界』

 大川隆法著



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