宗教って、民主主義の社会にはなじまないものだよね。だから、政教分離なんだよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『ダイナマイト思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
日本には民主主義が繁栄しているように見えますが、日本の民主主義の基礎にあるものはにせものです。私はそれをはっきり述べておきます。民主主義の基礎にあるものは「神の心」でなければならないのです。
民主主義が始まったのは二千何百年か前のギリシャでしょう。ギリシャの国は神を百パーセント信じている人たちの集まりでした。神を信じている人たちが、神の理想を実現するために、心を寄せ、みんなで努力して政治を行なっていたのです。そのような理想があってこそ、真なる民主政というものが成り立ったのです。
神というものがなくなれば、多数が集まったとき、そこに現われるものは衆愚政です。そして一部の独裁者によって迷わされる全体主義が始まっていったのです。ヨーロッパで崩壊した全体主義の流れを見てください。神なき指導者たちが教えた指導方針のもとにやってきた国の体制が崩れたのです。
宗教と民主主義とは両立しないものではありません。一体のものなのです。その基礎に神を信ずる心があってこそ、人びとは理想に向かって努力をし、その努力が素晴らしい政治、経済を生んでゆくのです。
日本の民主主義は物質的なる繁栄のみであって、そのなかに心がありません。精神がないのです。これこそが、いま求められているものであり、変革を余儀なくされているものなのです。私たちがやろうとしていることこそが、真の民主主義の道なのです。
これは私だけの考えではありません。マックス・ウェーバーという社会学者も、『古代ユダヤ教』という本で、「民主主義の時代には宗教が繁栄する」と書いています。その通りです。一人ひとりが、神の心を求めて、真なるものを求めて活動するときに、社会は繁栄するのです。だから民主主義と宗教は一致するのです。
そして真なる民主主義は、徳治政、徳治主義とも一致するものなのです。真に人びとが神の理想に燃えて努力し、おたがいのなかから最高の人を選んでいく過程を取り、そうした人を選んでいったならば、その頂点に立つ者は、最も徳高き者になるのは当然のことであって、民主主義の真なるものは徳治主義とまったく同じものとなっていくのです。
これを間違えてはいけません。
(247~249ページ)
歴史を遡って見てみるならば、宗教と民主主義とは両立しないものではなく、実は一体のものである。
神を信じている人たちが、神の理想を実現するために心を寄せ、努力して政治を行なっていくのが、真なる民主政である。
そして、真なる民主主義は、徳治主義とまったく同じものとなっていく──。
今日のお教えは、ちょっとむずかしく感じる方もいるかもしれません。
学校ではまったく教えてくれないお話ではあります。
だけれども、勉強してみれば勉強してみるほどに、この大川隆法先生のお教えは、宗教が独特の話をしているわけでもなんでもない、とても普遍的な事柄を教えて下さっていたことがわかってきます。
要は、西欧の民主主義の歴史を学びさえすれば、信仰あってこそ真の民主主義である、ということなのだと私は理解しているのです。
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『ダイナマイト思考』
大川隆法著 |
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