2022年に講談社から出版されたドキュメンタリーだが、紹介を読んで、図書館に予約した。半年ぐらいなって順番が回ってきた。
まず第一に著書にするには難しい題材にたいして、臆することなく進む姿に著者、井澤理江氏に敬服をする。
内容は2008年に起きた、漁船の沈没事故についての話になる。
別の取材で著者が、この事故(事件)の当事者の酢屋商店社長の野崎哲氏(沈没した漁船の船主)に出会うことから始まる。
著者は、まるで知らなかった事故について不審に思う野崎氏の話に興味をもち、調べ始める。その調査の過程と著者の考えが、このドキュメンタリーに記される。
沈んだのがこの漁船、就航間もない見た目には立派な漁船だと思う。
銚子沖の洋上で”パラ泊”という航法で停泊していた第58寿和丸が突然姿を消す。ちょっと品からの引用。
幾度となく海の事故を観てきた古参の漁協職員たちも解せなかった。あの程度の気象状況で、なぜ突然135トンもの船がひくり返ったのか。それに沈むまでの時間が短すぎる。
事故直後に僚船が現場海域に到着した際、風は10メートル、波の高さは2メートル程度だった。漁師にとって、遭難を懸念するような天候ではない。気象庁の基準によれば、会場では畔の強さが13.9メートル以上とよそkされた場合に、最も下のランクの「海上風警報」がでる。17.2メートル以上で「海上強風警報」。24.5メートル以上が予想されると、「海上暴風警報」だ。
大道(3人の生存者の1人)は「漁を控えるのはかぜが13メートルを超えたとき」と言う。だからこそ、そんな強い風でもないのに、パラ泊にはいったのがうれしかった。
3人が救助され、4名が死亡確認、13人が行方不明になった。生存者の3名の証言から、助かるまでの状況は、そのすさまじさは本を読んで欲しい。
2回の衝撃と衝撃音から海に投げ出されるまで、2分ぐらいだったと3人は言う。
事故の報告が運輸省運輸安全委員会から報告されたのは3年後の東日本大震災から1か月の時、事故の原因は”波”とされた。事故の後に流れ出ている油のりょうから、何らかの衝突事故が起きたのではと推測もされたが、それを完全に否定するものだった。そして調査項目までが非開示、油の量推定も方法の間違えが指摘される。何らかの衝突、それを著者は潜水艦が相手だったと推測していく。多くの潜水艦による事故もあらいだされる。しかし検証のできる船は5800メートルの海の底、地元議員や多くの署名をあつめて、海中捜査を嘆願するも却下された。
今後の安全を確保するために真摯な調査がなされたのだろうか。17人の命が失われたこの事故に新たな展開はあるのだろうか。
証明する証拠を持つことが出来ないこの事故に対して、著者はこの本の上梓後も諦めてはいない。この本の才魚の1行。
取材の道のりは長いが、望みは捨てていない。