
新聞の広告を見てか、図書館の新着情報を見たか忘れたけれど、「60年代ポップ少年」という題に惹かれて図書館に予約した本。
1949年生まれのコラムニスト、亀和田武氏のエッセイ。氏よりか若いけろど、60年代ポップスを知らないわけではないから読んでみました。
「ビートルズとバリケードが俺の青春だ」なんて嘘っぱちだ。って言うのがこの本のキャッチャーです。
氏が高校を何とか卒業して"2年間の浪人生活があって、吉祥寺の大学にようやく入学したのが一九六九年の4月だ。”
あの大学なんだ、その文学部がバリケード封鎖されたのが5月、このエッセイはそれに至る小学生の60年初頭から1970年バリケードが終わる70年までの氏の自分史です。
氏がポップに目ざめるのは坂本九の『悲しき60才』の1,960年の秋、そのあと『ルイジアナ・ママ』や『悲しい街角』なんかだから、このころの1年は大きい、私が目ざめねるのは数年後のハーブ・アルパートとティファナ・ブラスぐらいだから氏とはスタートが違った。
このスタートが違うという感覚は、私の世代がずっと持ち続けた感覚ではないだろうか。
氏はその後SF小僧みたいになるけれど、どちらかと言うとハヤカワ・ミステリーの方に行った私は氏とは違う道をたどった。
氏との接点は渋谷の『DUET』や『オスカー』で私の高校生のころからだから氏の大学入学にかぶるのだろう。
ただし私が大学に入学した時は、既にバリケードはなくなっていた。ただし校内での投石騒ぎなんかはあった。
氏が大学に入学したときに始まる大学バリケード封鎖はそれでも私にも影響した。
我が高校の近くにあった大学も紛争の拠点になっていてバリ封中、高校2年の時にはその大学を支援する形で高校はバリケード封鎖になった。
直線で200メートルぐらい離れたその大学に機動隊が入った時は、大学からわが高校に逃げてくるというような噂になっていた。
結局バリケードの中には入らなかった。だから氏との共通項というのはほとんどなくて、なんだかやはり違ったという感覚でまた終わってしまった。
我が高校、バリケードの中に入る女の子もいたけれど、生意気で・・・も今にぐらいだった。
この本の表紙イラストのような子がいたら、私の歩む道も違ったものになったかもしれないなどと、今になって一番無責任なことがこの本の感想になってしまった。