ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
よろしければ
ご感想をお聞かせください。

1月5日: 東京と大阪の相撲協会が合併した日 地方ごと→神社や寺で→江戸 庶民の娯楽

2011年01月05日 08時59分27秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「あすは何の日 東京と大阪の相撲協会 合併」という記事がありました。

次の日が、どんな意味を持つ日かを解説してくれるコーナーです。

本日、1月5日は、東京と大阪にあった相撲協会が合併して一つになった日なのだそうです。

相撲は、江戸時代に盛んになりました。

全国で興行が行われていました。

1927年1月5日に、東京と大阪の相撲協会が合併し、「財団法人・大日本相撲協会」となりました。

1950年代に、現在の「日本相撲協会」になったということです。
---------------------

お笑いや歌舞伎のように、東京と大阪の両方に拠点があったのですね。

「日本相撲協会」の公式ホームページに行ってみました。
(http://www.sumo.or.jp/参照)

「チケット情報」というのがあるので、クリックしてみました。

「チケットの買い方」があります。

1月9日から始まる「1月場所」のチケットは、12月11日から発売され、

タマリ席(土俵のすぐ横)     14,300円から
自由席大人(座席指定がない)    2,100円まで  ありました。


ウィキペディア「大相撲」の歴史には、

興行としての相撲が組織化されたのは、江戸時代の始め頃(17世紀)と言われている。

浪人集団との結びつきが強いという理由で、1648年(正保4年)には幕府によって江戸における辻相撲禁止令が出された。

1684年(天和4年)、寺社奉行の管轄下において、職業としての相撲団体の結成と、年寄による管理体制の確立が条件とされて、相撲の興行が許可された。

寺社奉行の管轄となったことで、江戸時代の間、興行は江戸市中の神社や寺院の境内で行われた。
本所の回向院での開催が定着したのは、1833年(天保4年)のことである。


神社にすもうの土俵がある場所があるのは、そういう理由からなのですね。

初期のころから、相撲は庶民の娯楽ということで、地元の団体との関係はいろいろとあったようです。



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ

金沢箔: シェア99% 和紙「箔打ち紙」がカギ なぜ金箔が石川県で? 気候と歴史に理由あり

2011年01月05日 08時33分56秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「ニッポン宝さがし 石川 金沢箔 輝く職人技」という記事がありました。

都道府県を、新しい視点で紹介するシリーズです。

石川県の金沢は金箔で全国シェア99%、「金沢箔」は特殊な和紙を使って叩き伸ばす技術があるのだそうです。

金沢(石川県)は、金箔のシェア99%を占める全国一の金箔の産地です。

金沢で金箔が作られるようになったのは、1593年に、加賀藩主前田利家が地元に金銀箔を作るよう命じた書を送ったのが最初です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵に同行し、肥前名護屋城(佐賀県)から送りました。

藩の政策として美術工芸を奨励し、浄土真宗の信仰で金仏壇の製造にも使われました。

金沢には、手すきの和紙を使う「箔打ち紙」に特徴があります。

柿渋、卵を混ぜた灰汁に和紙を浸し、加工して使います。

北川和夫・金沢箔技術振興研究所長は、「灰汁で紙に膜ができ、箔のすべりがよくなって、金が滑らかに延びる」と説明されます。

灰汁には炭酸カリウムが含まれ、これが静電気(金箔作りに大敵)を防止する効果もあるのだそうです。

「金沢箔」は、現在は主に南アフリカ産の金が使用されているということです。
----------------------------

金沢が金箔で有名なのは聞いていましたが、シェア99%とは知りませんでした。

ほとんど全部を、金沢で作っているんですね。

どうしてそんなに金沢なんでしょう?
他の産物は、ライバルがいたり、2~3者でシェアを分け合っています。

「金沢箔」で見てみると、

「石川新情報書府 - 金沢箔」が最初に出てきました。
(http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kougei1/haku/参照)

石川県の新情報を紹介するサイトの中にある「金沢箔」のサイトです。

「金沢箔とは」を見ると、金箔は純金に微量の銀、銅を加えた合金から作る。

「金箔の歴史」のページには、

前田利家の手紙の前から箔の技術者がいたらしいこと、

江戸幕府が、金箔の製造を江戸のみに集中させた間、金沢は京都・江戸の箔の打ち直しという名目で隠れて産業を続けていたとあります。


他にも金箔を作る産地もあったのかもしれませんが、江戸時代の統制期に藩をあげて「金沢箔」の存続に努めた結果、金沢が生き残ったようです。

また、このサイトには、金沢の気候(湿度が高い)も金箔作りに向いているともありました。

金の産地、佐渡から近く、京都にも近く、気候が適していて、藩の努力があっての「金沢箔」なのだと納得しました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ