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鶴澤寛治 逝く…

2018年09月10日 | 文楽



人形浄瑠璃文楽の三味線、

人間国宝の鶴澤寛治(つるざわ・かんじ、
本名白井康夫〈しらい・やすお〉)さんが
9月5日午前4時30分、89歳で死去した。

京都で生まれ、
文楽三味線の人間国宝だった父の六代寛治に入門した。
戦時中の人手不足で慰問公演に駆り出され、
1943年に鶴澤寛子(かんこ)を名乗って初舞台。
寛弘(かんこう)を経て、56年に八代目竹澤団六を襲名、
97年に人間国宝に認定された。
胃の大部分を切除する大病を患ったが復帰し、
2001年に七代目寛治を襲名した。

近年は病気で公演を休むこともあったが、
80歳を超えても床(舞台)に上がり続けた。
8月7日までの夏休み文楽特別公演(大阪・国立文楽劇場)で
「新版歌祭文(うたざいもん)」野崎村の段を
千秋楽までつとめた後、体調を崩して入院していたという。

弟子で孫の鶴澤寛太郎さんは
「つやと色気がある音色が好きで、子どもの時から
あこがれていた。
基礎を積み重ねた上での撥(ばち)さばき、
表現力は年をとっても衰えず、まねできない。
亡くなる間際まで節度、美意識を学ばせてもらった」
演劇評論家の宮辻政夫さんは
「模様を弾く(情を描く)ことを大事に、
厳しい稽古をしてきた人。
晩年の三味線は特に、情があり味わい深かった。
昔の文楽を知る人がまた一人亡くなり、寂しい」
と悼んだ。 

エ…エェエ…!!
まさか…。
いや…年齢的には…
いつかは…
そう思ってはいたものの、
いつも、いつも
必ず舞台に上がってはったもんやから…。
ついこの間の、
夏休み公演も務めてたんでしょう…。 

嗚呼…
あの音色が、もう聞けないと思うと…。
とってもとってもとっても
淋しい…
円やかで、艶やかで…
思わずうっとりとしてしまう…。
三味線って
こんな音色も出すんや!
そういう驚きと喜びを、
いつも感じさせてくれる…。
唯一無二の存在…。 

また一つ、
文楽を観る楽しみが
減ってしまった…。
本当に淋しい…

心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

人間国宝・鶴澤寛治さん死去 人形浄瑠璃文楽の三味線

文楽協会
日本芸術文化振興会