ヴォロンコーワ 著
ロシアの物語はなぜか懐かしく、心惹かれるものが多い。
厳しい自然の中で暮らす人たちは、生けるものへのまなざしが優しいからだろうか。
本書の舞台は第二次世界大戦時、ドイツ軍がロシアへと侵攻した頃だ。
それまでのどかな風景が広がっていた農村地帯に、戦火を逃れて都会から難民たちが
流れ込んできた。
家族を失い、近所の人と共に逃げ伸びてきた少女ワーリャ。
彼女の境遇を哀れんだ農家の“おかあさん”は、自分の子としてひきとる決意をする。
2人の娘と息子、そしておじいさんが暮らす農家で新しい生活を始めるワーリャ。
これまでの暮らしとの違いに戸惑いは多いが、“おかあさん”の愛情を注がれ
少しずつ馴染んでいく。
しかしどうしても“おかあさん”と呼べない。
無理はさせまいとしながらも、“おかあさん”も不安がある。
そんなある日、この春初めて咲いたマツユキソウを手にして、ワーリャは
「これを“おかあさん”にもってきたの!」と叫ぶ。
シンプルな話なのに、戦争の哀しみ、悲惨さ、そしてそんな中でも他人の子にでも
愛情を注ぐ人がいるという喜びがあふれている。
かわいそうだから、といってベタベタ甘やかすのではなく、家族としてのあり方を
毅然として守る姿もいい。
だからこそ、少しずつ心を癒し、少女はゆっくりと家族になっていくのだ。
マツユキソウはとても象徴的だ。
ロシアの話では春、雪解けの喜びとともに咲く花としてよく登場する。
そんな嬉しい花を小さな花束にして駆けてくる少女、“おかあさん”は世界で一番
幸せだったに違いない。
ロシアの物語はなぜか懐かしく、心惹かれるものが多い。
厳しい自然の中で暮らす人たちは、生けるものへのまなざしが優しいからだろうか。
本書の舞台は第二次世界大戦時、ドイツ軍がロシアへと侵攻した頃だ。
それまでのどかな風景が広がっていた農村地帯に、戦火を逃れて都会から難民たちが
流れ込んできた。
家族を失い、近所の人と共に逃げ伸びてきた少女ワーリャ。
彼女の境遇を哀れんだ農家の“おかあさん”は、自分の子としてひきとる決意をする。
2人の娘と息子、そしておじいさんが暮らす農家で新しい生活を始めるワーリャ。
これまでの暮らしとの違いに戸惑いは多いが、“おかあさん”の愛情を注がれ
少しずつ馴染んでいく。
しかしどうしても“おかあさん”と呼べない。
無理はさせまいとしながらも、“おかあさん”も不安がある。
そんなある日、この春初めて咲いたマツユキソウを手にして、ワーリャは
「これを“おかあさん”にもってきたの!」と叫ぶ。
シンプルな話なのに、戦争の哀しみ、悲惨さ、そしてそんな中でも他人の子にでも
愛情を注ぐ人がいるという喜びがあふれている。
かわいそうだから、といってベタベタ甘やかすのではなく、家族としてのあり方を
毅然として守る姿もいい。
だからこそ、少しずつ心を癒し、少女はゆっくりと家族になっていくのだ。
マツユキソウはとても象徴的だ。
ロシアの話では春、雪解けの喜びとともに咲く花としてよく登場する。
そんな嬉しい花を小さな花束にして駆けてくる少女、“おかあさん”は世界で一番
幸せだったに違いない。
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