哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

家庭と社会

2012-03-05 22:00:55 | ワイン
 両親の下に子供が生まれ育てられたとき、その育てられ方や親子の接し方は家庭ごとに様々であろうが、家庭内のことは基本的には四六時中世間にさらされるようなことはなく、極めてプライベートにとどまるものである。親子以外の親族との接し方も、同居でない限り家庭内よりは少しよそよそしくなるだろうし、世間一般との接し方においては、なおさら家庭内の親子の接し方のように世間一般の人と接することはありえないだろう。

 しかし、子供にとって最初に接する自分以外の人が両親であるから、両親との家庭内での接し方は、その後の世間一般での接し方に大きい影響を与えると思う。これは決して家庭内暴力のような極端な話だけでなく、普段の普通の生活での接し方を言っている。親子の接し方にもいろいろあるだろうが、親も初めて自分の子に接するのであるから、人間として対応の仕方が必ずしも良い場合ばかりではないだろう。一方で、子の社会適応力を非常に高める接し方ができる親もいるかもしれない。親だけの問題でもなく、子にも性格等、接し方に問題が発生するケースもあるかもしれない。


 池田晶子さんにも、親子の接し方が社会における付き合い方の予習であると書いた文章がある。少し引用してみよう。



「動物なら生きるために家族で助け合うという理由が明確だけど、人間が家族の中に生まれてくる理由は、それだけではないんだ。家族というのは最初の社会、他人と付き合うということを学ぶ最初の場所だ。家族の外の社会には、もっともっといろんな他人がいる。そういう他人とどう付き合ってゆくのかを予習するための場所なんだ。」(『14歳からの哲学』「11 家族」より)



 今月の日経新聞「私の履歴書」の著者は経済人であるが、小さい頃は祖母に厳しく教育され、それが社会へ出て役に立っているという。おばあちゃんの存在が人類の発展に貢献したと、どこかの教授が書いていたが、もしかして二世代同居という家庭形態が子供の社会への接し方に良い影響もあるのかもしれない。しかし、孫はおばあちゃんに甘やかされすぎる場合もあるので、一概に言えない気もする。

 ただ親の影響がどうであれ、最後は子供自身が自覚的に社会と接するようになるしかない。もし親の教育に問題があろうとも、最後は子自らが社会から学ぶしかないのであろう。結局、親も他人であることに、逆説的に気づくものなのだろうか。