哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『「七人の侍」と現代』(岩波新書)

2010-10-21 00:03:30 | 
 映画史に残る傑作で日本を代表するものといえば、「七人の侍」がまず選ばれるようだ。この映画について多面的に分析した表題の書が、今年発刊されていたことを最近知り、さっそく読んでみた。

 この本を読んでいて痛感したのは、映画というものは、それが上映された時代背景といかに密接につながっているか、ということだ。その時代背景を知ることで、映画が描きたかったことがより分かるし、そもそもその時代の空気というものが、この映画そのものをとりまく空気みたいなものなのだ。

 映画の上映が1954年という、日本が独立を回復して間もない時期であり、敗戦の爪あとが残っていて、まだ戦災孤児も多い一方、国際情勢から日本が再軍備を始める最中だったという。侍の一人が孤児であったことがわかる場面や、村人が団結して外敵と戦うというコンセプトが時代と密接につながるようだ。
 ここで思い出したのは、「ミュンヘン」という映画のラストで、ワールド・トレード・センタービルが大写しになるシーンだ。この映画のテーマそのものは1970年代の事件なのに、上映された時代における我々は、何の説明もなくとも9.11のことだと理解する。


 この本で一番印象に残った箇所は、少し前に別の話題(シンドラー関連)のときにも紹介した、野武士の捕虜を民衆が惨殺したシーンに関するところだ。この本の記述でさらに鮮明に思い出したのだが、一家全員を皆殺しにされた老婆がこの捕虜を殺そうとするシーンが確かにあった。このシーンに関する著者の記述を、以下に紹介したい。


「個人的なことであるが、わたしは同じような澄みきった眼差しをかつて見たことがあった。ベイルートの一角にあるシャティーラのパレスチナ難民キャンプを訪れ、1982年の大虐殺で三人の息子たちを惨殺されたという母親に紹介されたときであった。彼女の眼差しはもはや地上の何ごとをも映し出していないように思われた。わたしは黒澤明が短いショットではあるが、この老婆の場面を戦の途上に挿入したことを、秀逸なる演出だと思う。」(P.133-134)


 この「澄みきった眼差し」は、心に重くのしかかる。敗戦後間もない時期であれば、日本でも同じような境遇の人たちが、もっと身近に居たことだろう。

 人類史において戦争は依然なくなることはなく、同じ境遇の人を、戦いの双方で作り続けている。果たしてこのような人たちに、相手を許すべく寛容を説くことがどこまでできるだろうか。