哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

閣僚の問題発言(週刊新潮今週号「人間自身」)

2007-02-12 01:35:45 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「閣僚の問題発言」という題でした。また果敢に時事に斬り込んでおられます。



「我々が政治家に求めるのは、個人の本音ではなくて、公の言論である。公の言論、公に語られる言葉が、どれほど正当かつ有効であるか、政治家に求めているのは、最終的にはこれだけなのである。だからこそ政治家は言葉に気を遣わなければならないのだ。

 彼らに欠けているのが、公的な言葉を語る最たる人、つまり政治家としてのこの自覚である。シーザーは、適切な言葉が、適切な時に、適切な方法で、述べられなければならないと言ったそうだ。この自覚こそが、文字通り「ステーツマン」としてのそれのはずである。」



 相変わらず政治家の失言に厳しい池田さんです。なんと言っても、言葉は命、ですからね。

 公の議論を行う際に言葉に気をつけるべきなのは、政治家に限らず、公人が公の立場で発言される方は全て当てはまるのでしょう。極端な例を示せば、天皇のお言葉は練りに練られた完璧な言葉であることがいつも当たり前です。


 ただ今回の「機械」発言は、必ずしも思わず本音が出た、とはちょっと考えにくい気もします。大臣に限らず、普通人間を「機械」と思っていないでしょう。本音というよりも、専門的論議で使った比喩表現をどこか別の場所で使ってしまったのでしょう。そういう意味では、適切な場面では述べられていなかったのだろうとは言えそうです。


 ところでシーザーの言葉が今回引用されていますが、ユリウス・カエサルのことですよね。またもや、まるで塩野七生さんのような語り口に見えてきます。カエサルは、おそらく人類史上最高の創造的天才だそうですし、政治家としても最高なのでしょう。歴史に学ぶことはまだまだ多くありそうです。


 文章の最後に、文字通り「ステーツマン」、とあって、何が“文字通り”なのだろうと思ったところ、どうやら想像するに、statesman(政治家)とstatement(言明)をかけているようですね。そうだとすると、ちょっと池田さんらしくない言葉遊びですが。