哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

塩野七生さんの「日本人へ」36

2006-04-27 04:30:32 | 時事
今月の文藝春秋(5月号)の「日本人へ・36」は「負けたくなければ・・」という題でした。

 端的に要約すると、「靖国問題など、歴史問題で被告席に座らせられている日本は、20世紀前半に日本及び日本人がやってきたことについて、公文書や新聞・ラジオ・映画等すべての史料を洗いざらい英訳付きで公表すればよい。徹底的な証拠集めと公表に徹し、日本人が誤りを犯したかどうかは判断を下さない。あくまで最終的な判決を下すのは、陪審員たちであることを忘れてはならない。」



 なるほど、歴史認識が何であれ、「史料」つまりは手の内を全てさらけ出すことにより、無用な論争を避け、批判があれば甘んじて受けて、その上で自分たちができることを一からやり直す訳ですね。国際的公正を信頼する日本国憲法にも沿ったやり方です。

 一方でこれは結構リスキーです。これまでの日本の主張が、自分たちの提示した史料によって覆される恐れもあります。ただ池田さんも言うように、国家という枠組み自体が相対的なものに過ぎないとすれば、国境問題にせよ、事実認識にせよ、国家間の問題は、所詮人間同士の決め事に過ぎません。何が「正しい」か「正義」かと自分達の立場にこだわれば、対立の激化しか生みませんから、一切の史料を公表し、他国の立場も理解しながら事に当たるのが、他国の信頼を踏まえた交渉事の基本的対応なのでしょう。

 問題は、他国も同じ態度で対応してもらえる保障がないことですが、だからと言って硬直的対応を日本も行うとすれば、やはり対立の激化になってしまいます。いかに相手国の胸襟を開かせるか、です。言うはやさしく行うのは難しい話ですが、だからこそ国家運営には外交に長けた政治家が必要なのでしょう。清き1票による政治家の選択は、国家運営にとって本当に重要です。決して選挙を人気投票にしてはいけません。

 塩野さんも、ドイツのやり方(一般大衆が悪いのではなく、ヒットラーとナチスが悪いと整理する)は見習わない方がいいとも言います。「自分自身に疑いを持たなくなったからこそ、ナチズムは生まれたというのに」と。まさに公正な選挙でヒットラーとナチスが君臨したことを言っているのだと思います。