〇海を越えて鈴鹿へ
津なぎさ港は海から肌寒いくらいの風が吹いていた。
カンさんと夫人を埠頭で迎えた。10月10日正午過ぎ。
カン・ホキョさん、この8月、”ミネサクラブ”の一員として、アズワンを
訪ねている。今回は夫人同伴。
「ようこそ」と言うと、夫人ソン・インスックさんは、控え目に微笑みを
かえしてくれた。
(カンさん・インソックさん夫妻。3日目、里山見学のとき撮影)
港のロビーで遅い昼食。
カンさんとインソックさんは、同い歳。57歳。大学時代に知り合った。
インソックさんは、日本語の勉強中。たどたどしいけど、発音は
日本語らしいニュアンス。
彼女の父上は、日本で生まれ育ち、戦後18歳で韓国に帰った。
そして結婚。その父の影響もあるのかも。
〇アズワン・コミュニテイーを巡る
中井さん宅に落ち着く。
夫人インソックさんは、はじめての訪問。
「アズワン・コミュニテイーって、どんなとこ?」紹介があった。
翌日、SCS・はたけ公園・おふくろさん弁当・地域通貨のお店
など見学。
(鈴鹿カルチャーステーションにて)
(はたけ公園の出荷場で、青年と語る)
(ベジコミクラブの須賀さんと)
(おふくろさん弁当の三由紀さんが案内)
(コミュニテイー通貨のお店にて)
お昼は、コミュニテイーハウス江口宅で、うどんと天ぷらをいただく。
〇気持ちがこもったキムチ交流
夕方、中井宅にコミュニティーにかかわる女の人たちが集まった。
インソックさんは、韓国から、塩漬けした白菜やエビの塩辛・唐辛子
などもってきてくれた。大根・ナシ・セリなどお店で、ニラとネギははたけ
から、それぞれあつらえた。
女の人たちには、コトバの壁はない。
ワイワイしながら、あっという間に出来上がり。三日ほど熟成待ち。
(お茶を飲みながら、おしゃべりタイム)
あとで聞くと、インソックさん、このために一週間前から、レシピを
つくって、それで試作したり、加減でやっていた調味料を量ったり、
周到な準備をしてきたという。
気持ちがこもっているなあ、と感じた。
(キムチ交流終えて、おもわず、ほっこり)
〇夫婦の軌跡、それぞれ振り返る
11日の晩ごはんは、我が家だった。
カキフライ・焼きナス・ニラのナムル・ゴボウのきんぴら・キューリの酢の物・
茹で落花生・ピーナッツカボチャのスープ。ほとんど、はたけにあるもの。
(いつものことだが、食べ終わってから記念撮影)
12日の午後は、中井宅で懇談会。
日本語がぺらぺらの韓国の友人が通訳で来てくれた。
この日は、こころおきなく、それぞれ日本語、韓国語で語りあった。
(通訳の友人も、楽しかったと感想)
それぞれ、夫婦にはそのひとたちなりの軌跡がある。
カンさん、インソックさんの青春時代は、韓国の民主化運動の最盛期
だった。二人して、農村に入って、農民と暮らしながら理想を求めた。
カンさんは、その後軍隊生活7年。そして結婚。男の子二人に恵まれた。
キリスト教関係の共同体に参画、その活動に身をささげるような日々。
10年後、そこを離れてから、インソックさんはカンさんに、心のうちを
明かすようにようになったという。ときには、はげしく。
インソックさん。「共同体の子どもたちの世話をしてきたが、わが子に
気持ちをかけてやれなかった」
これには、懇談会に居合わせ、それぞれの夫婦、それぞれの感慨に
しばし沈黙。
インソックさんのこころのうちを感じているカンさん。今回、アズワン
に夫人を誘った、、こんどはカンさん自身のこころの内を語ってくれ
た。しみじみと聴いた。
「ところで、実は今日が結婚記念日なんです」とカンさん。
この懇談会で生まれてきつつある親しみのなかで、「おーっ」
と祝福の気持ちをかみしめた。
〇10月12日、カンさん夫妻の結婚記念日
12日夕食は、本山夫妻宅で。
夕食のあと、本山夫妻の息子の嫁が、結婚記念のお菓子をつくって
もってきてくれた。
(なにをか、言わん)
カンさん・インソック夫妻の仲睦まじさを、この三日間、そばで感じて
きたけど、もっともっと豊かになっていく世界がありそうで、「いっしょに
やりたいなあ」とわいてきた。
〇「どうぞ、我が家を訪ねてください」
最後の夜は、サイエンズスクール研修所に泊まった。
朝、次の訪問先、大阪に旅立つまえ、見送りの人たちと名残を
惜しんだ。
インソックさん。「今回来てみて、それぞれの人たちが自分の気持ちの
ままに、楽しくやっているのが印象に残りました」
そして、「韓国に来たときは、我が家を訪ねてください」と。
(サイエンズスクール研修所前にて)
このときは、気分としては、なんか韓国にもう一つの我が家ができた!
と、とってもひろびろした気持ちだった。