かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

南伊勢町、楽農暮らしを訪ねて

2012-10-19 06:57:33 | アズワンコミュニテイ暮らし

 10月18日は、朝から終日雨だった。

 三重県の南にある南伊勢町に、炭焼き名人の右田嘉次翁を

訪ねた。

 里山大好き男高崎広夫妻、それに片山弘子とぼく。

 

 伺ってみると、大きなロッジ風の家に案内された。

  

 いずみ楽農会の会長 東定也(あずまさだや)翁

  右田翁、

  同じく、その会を実際に支えている若き、田畑由美さん

が、迎えてくれた。


 「いづみ楽農会というのはどういうもの?」

 読んで字のごとし。「楽しい農の営み」または「農の営みを

楽しむ」

 

 田畑由美さんは、夫のうまれ故郷、ここ南伊勢町泉に東京

から、2000年のころ移住した。

 海外青年協力隊でコロンビアにいたことがある。

 日本にもどって、「物は豊かなのに、人のこころに闇がある」と痛感。

 いっときは、心理カウンセラーなどやったが、若いときから志して

きた農をベースにした暮らしに思い切ってふみきった。

 

 東さん、右田さんは、根っから地元で農の暮らしをしてきた人。

 由美さんの熱意と東さん、右田さんの日頃の願いが合わさった。

 いづみ楽農会の発足だ。、

 

 ロッジ風の家の一階は、楽農会の玄関ロビー兼拠りどころらしい。

 ふだんは、由美さん一家のキッチン・食堂。

 右田さんが、その活動を説明してくれた。

 

 雨はしょぼしょぼふりつづいている。

 右田さんがオクドさん、炭焼き釜を案内してくれた。

 高崎さんは、寡黙だが、じっくり観察している。


 五右衛門風呂も完成間近か。

 

  なにかしら、右田さんと高崎さんの間に、親しみができたきたのか、

「いちど、、どこに窯をつくるのがいいのか、その里山を見に行って

もいいよ」と右田さん。

 

 炭焼きと、一口でいっても奥が深いらしい。

 右田さんから、炭焼き窯のところで、「炭のパワー」の解説してある

”巻物”をいただく。

 

 炭ができるには、火入れから2日間、火の番をする。

 由美さん「子どもたちが体験で来た時も、この窯の前でたき火して、

たき火を囲みながら、この村のお年寄りの話を聞いたりするんですよ」

 子どもたちにとって、そういう闇夜のひとときは、どんなものが、

こころに刻まれていくのだろう。

 由美さんは、この淡々とした山里の暮らしが、子どもたちにもたらす

ものにこころ動かされている様子。

 

 鈴鹿カルチャステーションでの”てっらこや一日体験”企画でも、

炭焼きの二日間を体験することが描けたらいいなあとおもった。

 

 南伊勢町泉地区は、海に面していない。

 右田さん「山の手入れをしなくなって、50年。その答えが今出ている。

海が汚れて、魚貝類が取れなくなった。真珠もダメになった」

 右田さんの炭焼きへの熱意の源を感じた。

 

 お昼は、五か所湾に面した民宿で海の幸をご馳走になった。

 楽農会のみなさんの、お気持ちを有難くお受けした。

 老人と40代若いご夫婦とその子どもたち。

 地域社会に根つきながら、願いは三重県内にとどまらず、

世界中へと広がっている。

 二人の翁の愉快なお話も、いつも人の生き方と世界中の

人たちに開かれていると感じた。

 

 ぼちぼち、お付き合い、していきたいなあ。


 <連絡先>

   いずみ楽農会 事務局

     田畑 由美

   〒516-0103 三重県度会郡南伊勢町泉383

   TEL 0599-66-1125


 <田畑由美さんのメッセージ>

   炭焼き 里山再生 田んぼの学校

   人をつなぎ 笑顔をつなごう


    天使のひるね パン工房

    元気もりもりいのちのパン

     (毎週土、日に焼いていると聞きました)

 

 

 

  

 

 

 

 


マイライフミーティングがあった日

2012-10-17 05:56:21 | サイエンズスクールのある暮らし

 マイライフというのは、わが暮らしといえばいいのか。

 各々の暮らしといえばいいのか。

 ミーティングといったら、日本語でなんというのか?

 辞書では、「会・会合・打ち合わせ」とあった。

 打ち合わせっていうと、なんかを決めるというニュアンスがある。

 マイライフミーティングは、そっちより、寄り合いに近いかも。

 

 月一回、土曜日の夜から日曜日の夕方までやっている。

 とくに、こうしようというのがあるわけでもないようだが、見ていると

それぞれ、じぶんの都合で、その間、参加したり帰ったりしている。

 だれでも参加できる。

 先週13,14日は、岐阜・静岡・東京からも参加していた。

 

 鈴鹿カルチャーステーションが会場になっている。

 そこには、ギャラリースペースがある。通路の壁だけど・・・

 最近、岩田”画伯”の最新作が掛かっている。

 栗のスケッチ。

 

 見ていて、こころに響くものがある。

 おもいだしたことがある。寺田寅彦の俳句。

     栗一粒秋三界を蔵しけり

 

 「三界」(さんがい)とは、仏教では宇宙全体をあらわすという。

 一粒のなかに、全宇宙を成り立たせているすべての関連が

おさまっている。

 

 なんてこと、おもいながら、夜のマイライフミーティングに参加した。

 20人ほどの参加者。

 

 市川さんが、なんとはなしに口火。

 「この一か月やってきて、いろいろおもったことなど、出し合いますかね」

 彼は、ふだん、家電器具のメンテナンスの会社で働いている。

 最近は、会社が営業成績に敏感で、彼はいつリストラにあうか、それに

「疲れちゃう」といいながら、それでも勤めている。

 

 ぽっつり、ぽつりと近況、何人かが話はじめる。

 静岡からきているご夫婦。奥さんが、つい何日か前の夫婦のやりとりの

こと、出した。

 どんなやりとりがあったのか、忘れたが、夫は奥さんに「バカ女!」とか

言ったらしい。それを、奥さんが「どう聞いたか」ということを行きつ、戻りつ、

じぶんのなかで起きたことを、なんとかコトバにしようといていた。

 それを聞いていた美幸さんが、その奥さんの夫君に「あなたは、それって、

どうおもうの?」と問いかけた。

 夫君「うーん、うーん、なんかね、これまで、このミーティグをつづけて

これたのは、そういう質問がないところが、うーん、よかったんだけどなあ」

 笑いがあちこちから起こる。

 

 日頃、人とのやりとりでじぶんのなかで起きたことが、けっこう気楽に

語られている。

 なかには、何年か前に人にひかかって、いまでもひっかかりが消えては

いないけど、観察してみる、しらべてみる気持ちになったのでと、そういう

胸のうちを出す人もいた。

 「そういう立場だったら、そりゃあ、ないだろう」

 そのときの気持ちがコトバに表現できた。そこから、はじまるのかなあ。

 ここでも、あちこちから、つつみこむような笑い。

 そんな話を出している、その人が、だいいち楽しそう。

 

 きのう、あったことを出す人もいる。そのひっかかった当人の目の前で。

 相手の人が「こうして」と言ってくる。それを、じぶんはどう聞いたか?

 「指図された」と聞いたのか、その人がおもっていることを言っていると

聞いているか?

 ここでも、じぶんのなかを観察して、コトバにしていく。

 「じぶんがどう聞いたかというのは見ていきたいけど、やっぱり、相手が

わたしに指図したというのは、なくならないわ」

 

 サイエンズ研究所主催で、「話し合いで営まれるコミュニティー」という

カレッジが開催されていた。

 そこのメンバーが何人かいて、話し合いを実現していきたいのに、

話し合いになっていかない実例がたくさん出てきた。

 

 「話し合いが出来る状態って、どんなだろう?」

 「そのとき、実際、そういう状態だったかなあ?」

 

 ミーティングは、いかにも地味なものだ。

 「その実例って、この間も、同じようなこと言ってんじゃあない?」

 「そうなんよ、じぶんでも呆れるよ。でも、じぶんの意志とは関係なく

出てきちゃったものは、出てきちゃったとして、それがどこから出て

くるのかと、観察するしかないじゃん」

 「まあね、何回でも、いくどでも、じぶんの実例を見ていくと、こんな

ことしていて、どうなるんだろう?っておもうようなときもあるよね」

 「それでも、最近は遠慮や気兼ねなく、けっこう好きなこと言い合える

ようになってきてるね」

 「そう、じぶんを発見するのがおもしろい」

 

 そうだ、一見同じようなことを言い続けているとか、相も変わらず、

そういう態度をするとか、それぞれの表れがあるが、聞いていると、

接していると、その人の味だなあ、とおもえてくる。

 

 ちょっとおもしろくいえば、長屋の八っん、熊さん、おかみさん連中が

「どんな時でも、話し合える状態って、どんなんだろう?」とか話し合って

いる。それも、飽きずに。こういうのって、ぼくは楽しい。

 

 栗の一粒、人一人。

 そこにある、そこにいるって、もしかしたら、凄いこと。

 一回きりの人生、本当の栗の一粒、本当の人の姿、その人生。

 ここに焦点当てず、日々過ぎていくのは、いかにも惜しい。

 

 マイライフミーティングは、かたつむりの歩みに似てるかな。

 気が付いたら、あれ、こんな世界にいる、なんてなるのかも・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「この野郎!」

2012-10-16 06:02:39 | アズワンコミュニテイ暮らし

 昨日の午後、はたけ公園からの帰り。

 自転車で大通りを横切って、路地を直進していた。

 うしろから、警笛が聞こえた。

 バイクが自転車に乗っているぼくの横に寄ってきた。

 おもわず自転車を止めたら、バイクも脇に止まった。

 ヘルメットの顔カバーを外して、

 「なんで道の真ん中を走るんだ、この野郎!」と怒鳴った。

 怒鳴っていると聞いた。

  一瞬、その男の顔を見ると、ふだん道ですれ違ったとしたら、

穏やかな初老の人と感じるだろうな、とおもった。

 じぶんのなかでは、「道の真ん中」に反応しているつもりだった。

 「真ん中を走っているつもりはないが・・・」

 はて、なにか、じぶんでも意識できていないことをしてたかな、

とちょっと、相手のおっさんの顔を眺めていたら、急に発進、

後ろ姿を見送るほかなかった。

 

 それにしても、その場面をよく振り返ってみると、まず「この野郎!」

というコトバに反応しているのではなかったか。

 久々に聞くコトバだし、この語調も忘れているほどだった。

 それだけ、印象に残っている。

 「このやろう!」と聞くと、「なに、てめえ」とか即、反射的に

立ち上がるものがあったようにおもう。

 

 こんなとき、そのおっさんが「・・・このやろう!」というのは、

もちろん、じぶんのことを言っていると捉えている。

 「この野郎とは、なんだ!」

 だから、「なに、てめえ」といった反応が即出てくる。

 静かに見てみて、かすかでも、そんな反応が出てきていた

ようだ。出てきてしまったのはどうすることもできない。

 

 このとき、その人がその人のなかで起きていることを、

「・・・このやろう」というコトバで表現していると受けとめることが

できたら、その人がどんなことをおもって、そんなに言っている

かに関心がいくのではないか、少し気持ちが鎮まって、そんな

におもった。その人の語調とかにかかわらず・・・

 

 混線しているという自覚。

 「そこを退け」と言う人がいる。

 それを言った人のもとに、「人をさせたり、させななかったりできる」

としているものが、無意識にでもあるかどうか。

 それを聞く人の方でも、その人のもとに、そういうものが、どうなって

いるか。

 いくら、「そこを退け」と聞いても、それをするかどうかは、その人の

意志や気持ちでしかやれない。

 「そこを退け」と言う人も、じぶんの意志や気持ちは言えても、

人を「させたり、させなかったりできない」


 この混線が自覚できたら、自ずから、よく話し合おう、よく理解し

合おうという方向に向かうだろう。

 

 ここが、意識とか考えでどう思っているかということと同時に

じっさい、じぶんのなかがどうなっているか、ここを観察して

みることを心している。

 人と人の間がらを考えていくにも、社会や国や国際社会に

かかわっていくうえにも、混線がないかどうか。

 この混線が解明されていったら、霧が晴れるように、晴れ晴れ

とした、透き通った秋空のような、世の中があらわれてくるのでは

・・・・

 

 初老のおっさんの「この野郎!」で、どんな世界に向かって

行きたいとおもっているか、目を覚ましてもらった感じ。

 有難かったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


韓国から夫人同伴、アズワン滞在記

2012-10-14 09:39:11 | アズワンコミュニテイ暮らし

〇海を越えて鈴鹿へ

 

 津なぎさ港は海から肌寒いくらいの風が吹いていた。

 カンさんと夫人を埠頭で迎えた。10月10日正午過ぎ。

 

 カン・ホキョさん、この8月、”ミネサクラブ”の一員として、アズワンを

訪ねている。今回は夫人同伴。

 「ようこそ」と言うと、夫人ソン・インスックさんは、控え目に微笑みを

かえしてくれた。

 (カンさん・インソックさん夫妻。3日目、里山見学のとき撮影

 港のロビーで遅い昼食。

 カンさんとインソックさんは、同い歳。57歳。大学時代に知り合った。

 インソックさんは、日本語の勉強中。たどたどしいけど、発音は

日本語らしいニュアンス。

 彼女の父上は、日本で生まれ育ち、戦後18歳で韓国に帰った。

そして結婚。その父の影響もあるのかも。

 

〇アズワン・コミュニテイーを巡る

 

 中井さん宅に落ち着く。

 夫人インソックさんは、はじめての訪問。

 「アズワン・コミュニテイーって、どんなとこ?」紹介があった。

 

 翌日、SCS・はたけ公園・おふくろさん弁当・地域通貨のお店

など見学。

鈴鹿カルチャーステーションにて

はたけ公園の出荷場で、青年と語る)

(ベジコミクラブの須賀さんと)

(おふくろさん弁当の三由紀さんが案内)

(コミュニテイー通貨のお店にて)

 

 お昼は、コミュニテイーハウス江口宅で、うどんと天ぷらをいただく。

 

 

〇気持ちがこもったキムチ交流

 

 夕方、中井宅にコミュニティーにかかわる女の人たちが集まった。

 インソックさんは、韓国から、塩漬けした白菜やエビの塩辛・唐辛子

などもってきてくれた。大根・ナシ・セリなどお店で、ニラとネギははたけ

から、それぞれあつらえた。

 

 女の人たちには、コトバの壁はない。

 ワイワイしながら、あっという間に出来上がり。三日ほど熟成待ち。

 

 

(お茶を飲みながら、おしゃべりタイム)

 

 あとで聞くと、インソックさん、このために一週間前から、レシピを

つくって、それで試作したり、加減でやっていた調味料を量ったり、

周到な準備をしてきたという。

 気持ちがこもっているなあ、と感じた。

(キムチ交流終えて、おもわず、ほっこり


 

〇夫婦の軌跡、それぞれ振り返る

 

 11日の晩ごはんは、我が家だった。

 カキフライ・焼きナス・ニラのナムル・ゴボウのきんぴら・キューリの酢の物・

茹で落花生・ピーナッツカボチャのスープ。ほとんど、はたけにあるもの。

(いつものことだが、食べ終わってから記念撮影

 

 12日の午後は、中井宅で懇談会。

 日本語がぺらぺらの韓国の友人が通訳で来てくれた。

 この日は、こころおきなく、それぞれ日本語、韓国語で語りあった。

(通訳の友人も、楽しかったと感想)

 

 それぞれ、夫婦にはそのひとたちなりの軌跡がある。

 カンさん、インソックさんの青春時代は、韓国の民主化運動の最盛期

だった。二人して、農村に入って、農民と暮らしながら理想を求めた。

 カンさんは、その後軍隊生活7年。そして結婚。男の子二人に恵まれた。

 キリスト教関係の共同体に参画、その活動に身をささげるような日々。

 10年後、そこを離れてから、インソックさんはカンさんに、心のうちを

明かすようにようになったという。ときには、はげしく。

 インソックさん。「共同体の子どもたちの世話をしてきたが、わが子に

気持ちをかけてやれなかった」

 これには、懇談会に居合わせ、それぞれの夫婦、それぞれの感慨に

しばし沈黙。

 

 インソックさんのこころのうちを感じているカンさん。今回、アズワン

に夫人を誘った、、こんどはカンさん自身のこころの内を語ってくれ

た。しみじみと聴いた。

 

 「ところで、実は今日が結婚記念日なんです」とカンさん。

 この懇談会で生まれてきつつある親しみのなかで、「おーっ」

と祝福の気持ちをかみしめた。

 

 

〇10月12日、カンさん夫妻の結婚記念日

 

 12日夕食は、本山夫妻宅で。

 夕食のあと、本山夫妻の息子の嫁が、結婚記念のお菓子をつくって

もってきてくれた。

 (なにをか、言わん)

 カンさん・インソック夫妻の仲睦まじさを、この三日間、そばで感じて

きたけど、もっともっと豊かになっていく世界がありそうで、「いっしょに

やりたいなあ」とわいてきた。

 

 

〇「どうぞ、我が家を訪ねてください」

 

 最後の夜は、サイエンズスクール研修所に泊まった。

 朝、次の訪問先、大阪に旅立つまえ、見送りの人たちと名残を

惜しんだ。

 インソックさん。「今回来てみて、それぞれの人たちが自分の気持ちの

ままに、楽しくやっているのが印象に残りました」

 そして、「韓国に来たときは、我が家を訪ねてください」と。

(サイエンズスクール研修所前にて)

 このときは、気分としては、なんか韓国にもう一つの我が家ができた!

と、とってもひろびろした気持ちだった。

 

 

 

 

 

 


天高く はたけ公園物語(下)

2012-10-13 15:32:16 | アズワンコミュニテイ暮らし

 好きなこと、お互いにしゃべっていると、おもわぬ方に話題が

展開することがある。

 

 この秋、男の有志連中でやっている「暮らしとエネルギーの

地域自給懇話の会」にご婦人方に参加してもらった。

 「”暮らし”と銘打っているのに、女の人がいないのはなにか足りない」

 京都の循環共生システム研究所から参加している青年岩川貴志さんの

アドバイスがきっかけ。

 

 自然エネルギーをどうつくっていくか、という話題から、「ネネルギーを

どう使うか?」

 「お風呂も各家庭で入るのと、何家族で入るのも出来るわよね」

 「食事でも・・・」と広がりはじめる。

 

 「そうそう、前から、はたけ公園にオクドさんをつくって、薪でご飯

炊いたり、調理したりしたいという話がでていた」これは、男の

方から。

 それから、”オクドさん”について、ワイワイ。

 「一月に一回ぐらい、オクドさんをつかって、屋台を出すのはどうか?」

 「そうそう、タイの街や田舎では、その地域に市場がある。そこでは、

夕食のおかずを買ったり、そこで食べたり、その地域の人の台所・

食堂になっている」

 これは、タイで暮らしてきた佳子さんも同感。

 

 何日か後、近所の佐々木さんと飲んでいたら、薪の処分に

困っている人がいるという情報。

 「ええー、それって、もう薪にしてあるものだよね?」

 さっそく、物好きの三人、中井・大平・宮地、2トントラックで

津の南端、君が野ダム近くの村まで、取に行く。

 はたけ公園の広場前に、薪を積んだ。

 

 今度はオクドづくりにチャレンジ。

 これには、”住まいのサポート”本山さんが、俄然身を乗り出した。

 大平さんは「グレーチングとブロックで、先ずは薪を燃やせる

ようにしよう」

 哲男翁は、「おれは、一斗缶でつくったロケットボイラーをもってくる」

と、それぞれ、特技が寄ってくる。

 妻小浪も、どういう風の吹き回しか、10月7日の”オクドさん、試作・

試食デー”と勝手につくったイベントに、「行ってくる」と出かけていった。

 

 「食べにおいで、サンマも焼けているよ」妻から電話。

 行ってみると、簡単だけど、ご飯を炊いたり、サンマを焼いたり、

湯を沸かすのには、問題なさそう。

 「いける、いける」と自画自賛。

 「まあ、すぐ本格的なオクドさんをつくるというより、こんな感じで

毎月一回、地域の暮らしに屋台横丁があるというのが、よくはないか?」

 

 いい加減がいい加減。

 まあ、月に一回でも、地域の人が寄ってきて、食べたり、飲んだり、

しゃべったり、そんななかから、暮らしの仕方が見直せていけたら、

おもしろいんじゃないの。

 

 エコトイレもつくりはじめている。

 井戸も検査して、飲料水にもOKとなった。

 地震など、災害時には、電気・水など無しでも、暮らしていけないか、

廻りには野菜もあるし・・・

 

 街の隣のはたけ公園、5000坪。

 まだまだ、そこで暮らす人たちの知恵や特技などが寄ってくる場に・・・

 さびしい人がほのぼのとできるような・・・・

 

 秋深し隣はなにをする人ぞ

 

 この芭蕉の句、イメージがどうも、サンマのけむりで「隣の人は

なにしてる?」と、秋を感じる句だとおもっていた。

 「秋深し隣」で切るという読み方があるという。

 そこから、この句の作者の内面世界に触れたとき、「なにをする人ぞ」と、

人の世の懐かしさがあらわれてくるらしい。

 

 まちのはたけ公園物語は、そこからはじまるのかもしれない。

 

                                    (いったん、おわり)