かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

サイエンズサロンに参加して

2015-02-19 14:48:13 | サイエンズ研究所のある暮らし

「○○ってなあに?」

と、問われるとか、自問するというのは、

ちょっと、一瞬「えーっと」と息を呑むような感じがある。

このことをぼくは、どうおもっていたんだろう?と、

すぐにコトバが出てこない。

しばし、空白な状態で唸って、エイヤーとコトバにしてみる。

 

2月2日のサイエンズサロンは、「アズワンコミュニテイの

目的って何?」からはじまる8つの問いが用意されていた。

坂井さんが、参加者に問うて、各自がA4の紙に問いについて

じぶんのおもっているところを書いて、その後にサイエンズ

研究所の集中研究会では、こんな風に表現したみた、

という感じで杉江さんが発表した。

 

その日、なんか節々が痛く、熱ぽっく、集中できない感じが

あった。

それでも、適当に自分のおもっていることを書き、発表された

ことを聞き、その表現もじぶんが書いたものの下に書き足した。

 

サロンのあと、部屋にもどり、布団を敷いて、休むことにした。

布団のなかで、なにやらいろんな妄想が湧いてきた。

サロンの問いも出てきた。

あの問いって、どんなんだろう?

あの、問いにたいしての、あの表現って、どんなことを

表わそうとしているのか?

 

第1問 「アズワンコミュニテイの目的は?」

 

「争いのない、幸せな世界」の実現。

 

「争いがない」とかいうと、戦争とか紛争とか戦いのイメージが

でてくる。

たしかに。

そもそも、人が人と人の間に生まれてきたとき、「争い」なんて

気持ちをもって、この世に出現してきたわけじゃないよな。

だいいち、赤ちゃんって幸福状態で生まれてくるんじゃないかな。

「幸福状態」っていって、そうらしい感じもするが、そういえるのは

どんなとこか?・・・・

 

第2問 「アズワンコミュニテイライフとは?」

メモには、「安心」とか、「一人でかかえこまなくても」とか

書いてある。

 

「安心して委ねられる社会で自分らしく暮らす」

 

「なーる。なーるほど」

聞いたときもおもったし、寝床のなかでも、何かしっくりくる

感じだ。

ここでも、生まれてきた赤ちゃんとそれを見守る大人たちや、

幼い子でさえ赤ちゃんに接するときは、それなりの現われが

起きているように見える。

赤ちゃんは周囲環境に委ねきっているし、周囲はその赤ちゃんを

慈しんで育つことを願う。赤ちゃんは周囲の思惑を知ってか、

知らずか、おもいきり自分らしく笑い、泣き、嫌なことは決して

しない。

 

第3問 「アズワンコミュニテイの基本を三つ?」

 

「うーん」あらためて、問われると・・・

 

こんな三つが出てきた。

1、一人ひとりを尊重する

2、人にも社会にも束縛・強制がない

3、一切の対立がない

 

どれも、ふつうに使われている言葉で、難しい言葉では

ないが、そのことは人として、社会として、どういう実際を

言い表そうとしていっるのかな?と問うてみると、「それは、

そうだよな」としたあと、「それって、どういうこと」と続くような

ものがある。

 

「尊重する」どういうことを、言おうとしてるのか。

「人にも社会にも」

人に束縛や強制がないのは、そうだよね、となる。

社会にたいしてというか、束縛や強制が無い、これって

どういうこと?

「対立がない」だけでなく、「一切」とついているところ・・・

 

これって、今の、というか、現状の自分の目に映るものから

考えたり、観察していっても、何か見えてこない世界が

あるかもしれないな、と妄想する。

今日は、あまり突っ込んではかんがえないようにしよう。

 

第4問 「アズワンコミュニテイの運営とは?」

 

もう、このへんから、自分の書くそれは、あきらかにしどろもどろ。

研究所から発表があった表現も、はっきり思い出せない。

なもんで、A4のメモを寝床のなかで、見返?してみる。

 

えーと。

「何でももちより、何でも検討し、自由にやってみる」

 

・・・・

小学生低学年のころを思い出す。

学校であれ、空き地であれ、群れて遊んだ。

三角ベースボール。

その時、居あわせた子どもたちで、その人数で「こうしようぜ」と

はじめる。

やりたい子が加わってくると、なんやかやみんなでやりとりして、

増えた人数のルールにして、再開ってなもんだった。

 

アズワンコミュニテイの運営、というか、これって特別なもんじゃ

なくて、こんなんがガキのころからの文化ともいえるもの、

そんなところが源じゃなきかな?

とってつけたようなものでもない。

 

 

第5問 「アズワンコミュニテイの経済とは?」

 

 いま、アズワンでの経済生活って、簡単にやさしく言うと

 どういうことになるか。

 おもいつきでいろいろいうことはできるけど、どういえるのか。

 

「その人らしく発揮し、必要なものが自由に得られる」

 

「うーーん」

何か言いえているように感じる。

わざわざ「お金を介在させなくとも」とか言わなくとも、人が、

人と人が経済的に暮らすということが、どんなことかといえば、

作る人が居て、使う人がいて、作るひとはその人らしく楽しんで

つくり、使う人は、必要なものが欲しいときに自由に得られる、

そうだよね、そういう当たり前の経済的な暮らしができるよう、

やれるところから、こんなにしてみたらどうか、とかいいながら、

やり始めているともいえるかな。

 

第6問 「サイエンズをやさしく言うと?」

 

5年前に鈴鹿に引っ越してきたころ、「サイエンズ」というコトバが

使われはじめてきた。

「サイエンズ研究所」

「サイエンズスクール」

研究所では「サイエンズ」とは、というサロンを開き、関心の

ある人たちが、それぞれその中身について、自分の暮らしの

なかで、検討してきた。

 

「サイエンズをやさしく言うと」という説明文があって、

それをメモに書いた。

「どこまでも”分かった””できた”など、結論づけない営み」

 

研究所の表現。

書いたメモをたしかめる。

 

「人間を知り、人間らしく生きる」

 

とっても、新鮮な感想。

「結論づけない営み」というところが、「それはそうだよね」と

理解した上で、じゃあ、自分のなかの実際はどうなっているか、

ここを観察していくところが”サイエンズ”のミソだとおもってきた。

「自分を知る」とか「人間を知る」の、入り口というか。

ここのところの機微というのかな、自分のなかで実際起きていること

を知るためには、「知っている」として、知性や情の発露を阻んでいる

ものに気づくプロセスが要るんだろう。

幼い子どもなんかは、そのものだとおもうけど。

知性が働き、情が発露するようになることを、「人間を知り、人間と

して生きる」っていうのかな。

 

ちょっと、疲れてきた。

あと、2問。

 

第7問  「サイエンズスクールとは?」

 

自分のメモはまとまらなく、いろいろ書いてあった。

 

研究所の表現。

「人として成長し、自己を生かし発揮する」

 

「人として成長する」というのは、人として生まれ、「人になっていく」

ことをいうのではないか。

自分の67年をふりかえると、ほとんどは「人になる」というより、

人になろうと意識するあまり、外に何かを求めていた。

スクールの目的。

一人ひとりの幸福。「自己を生かし発揮する」

 

第8問 「サイエンズ研究所とは?」

 

「本質を探究し、人と社会の本来の姿をあきらかにする」

 

 

研究所のサロンのあと、おもったことと、いま書きながら

おもっていることが、混在している。

そのときは、この全部の感想として、いまぼくらがやろうとして、

やっている試みは、思い荷物を背負って、山の頂上を目指して

苦労しながらのぼるようなもんじゃないかも。

かえって、重い荷物をしょっているなら、そんなものは降ろして、

身軽になって、もともとそうであったような世界に立ち還る

ような、簡単なことではないだろうか。

どこからか、何かもってくるとか、自分を変えなくちゃいけないとか、

そんなこととはちがって、自分にもあり、身近な人にもあり、

誰にももともとある世界に気がつくことから、はじまるのではないか。

身軽になろうとする自分、身軽になろうとする人と、無理なく

身軽になりあっていく。

そういう人たちで、無理の無い、誰もが満ち足りた社会の

仕組みや運営を検討したらどんな社会が現われるか、

そんな感じなのかなと、その時以来、いろいろ思っている。

 

 

 


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