毎週木曜日、サイエンズ研究所のゼミナールに参加しています。
「やさしい社会 親しさで繋がる社会とは」(サイエンズ研究所発行)を
テキストにしています。
先日は「第一部 やさしい人間学 人間性 知性 のなか
2、人に求める
3、人に応じる
の章を検討、探究しました。
その日の感想です。
* * *
妻には、あれやって、これやって、と「求めて」て暮しいるなあ、と思った。
出し合っていくうち、「求める」といっても、その物や事をやってほしい、と
やっているように思った。
あとで、この章を読み返してみた。
「・・・を欲求する」のとは違って、「・・・を人に求める」
「人にして欲しい」とか、「人にやってもらいたい」とかの気持ち。
どこから、こういう気持ちが出てくるのか?
少し、立ち止まって眺めてみる。
「自分のことは自分でする」というのが心の底なのか、観念なのか、根強く
あるように見えた。
「自分一人では生きていけない。ほとんどことは他の人にやってもらって、
それで今の自分がある」
その考えは言える。
実際の心の状態は?
やってもらって、どこか心苦しいものがでてくるような。どこか変。
人に応じる、と言う場合。
人から何かしてほしい、と求められたとき、はじめに瞬時に「するか、しないか」「
できるか、できないか」が出てくるなあ。
これでは、人に応じる、人の気持ちに応じるにはなっていかないだろうな。
どんなのが、当たり前の人の姿だろう?
ーー「人に求める気持ち」と、「人にやってもらう喜びや満足」に
素直になると、やってあげたいという「人に応える気持ち」が素直に見えてくるでしょう。
テキストの一節がこころに残っている。
こういう焦点で自分や周囲を見ていくと、どんな風に見えてくるだろう。
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