かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

2015-02-16 12:21:46 | わがうちなるつれづれの記

先週金曜日、三重大学付属病院の定期診察に行って来た。

2月はじめから、風邪気味で、いまでも顔のむくみや身体のだるさ

があると訴えたら、血液検査の結果をみながら、「心臓の機能が

落ちているせいかな。利尿剤を増やすかな」という見立てだった。

 

三重大病院では、慢性心不全患者を対象とした治験に参加している。

2012年12月に、除細動器を植え込んだとき、この治験をすすめられた。、

これで2年経つ。そのために毎日1錠づつ飲んで、何ヶ月かごとに、

心エコーや血液検査、尿検査をしてきた。

 

院内処方で、いっぱい薬をもらってきた。

薬なんて、好きじゃない。

2002年に心不全で倒れて、薬が要るとなったときは、「やれやれ」と

おもった。

「なるべく、要らないように・・」と思い、お医者さんも協力してくれた。

あれから、12年、いまではいっちょ前に薬のお陰で、命を長らえて

いる?

薬を飲むことで、身体の自然治癒力が「ああ、オレははたらかなくても

いい」と、サボるようになり、ますます薬にたよるようになる、というのは

そうかもしれないな、とおもうんだけど。

 

日曜日の朝、薬を毎日、これを飲んだらいい、というようにいくつも

ある袋の薬を一つの袋にまとめる。

およそ、1時間ほどかかる。

 

2011年から国民年金暮らしになった。

毎月の病院通いと薬代で1万円近くかかる。

はじめは、薬をジェネリックするとか、かかりつけのお医者さんに

相談した。

検査も、そうそういつもやっていられない、とおもった。

お医者さんは、そんな様子を見て、「特定疾患(指定難病)

医療費助成」の申請をしてみようかとアドバイスをしてくれた、

幸か不幸か、ぼくの心臓の状態はその申請が通るほどの

数値になっていた。

「特定疾患」のうち、ぼくの症状は「特発性拡張型心筋症」と

いう項目に該当するらしい。

特発性というのは、「原因不明」という意味らしい。

治療の研究というので、医療費と薬代は公費で払ってもらえる

ことになったのだった。

経済面では、ほっとした。

薬に頼る暮らしにはなった。

 

2012年11月、意識不明状態になって、4時間後に意識が

回復した。

あとで聞くと、心房細動と心室の異変が突然起こり、心臓の

血流が止まったというのである。隣にいた妻や近所の青年の

人工呼吸、救急車の早期到着で、一命をとりとめ、後遺症も

なかった。

ただただ、幸運というほかない。生きていることというのは、

一人でいきているなんてもんじゃなく、多くの人やすべての

つながりの条件が揃って、やっとこさそこに現れている、そいう

ものだとつくづく知った。

 

その後、除細動器を心臓に植え込み、「1級身体障害者」の

扱いをしてもらっている。医療機関、交通機関、図書館など、

さまざまな便宜をはかってもらっている。

これは、一種複雑な気持ちではある。

社会のみなさまのお世話になって生かしてもらっている、

そんな感じがある。

ぼくの寿命もそう長くはないかもね、という感じもある。

 

こういう病態になったら、昔はだいたいそれなりに寿命を

全うして、亡くなっていった。

医学の進歩で、病態を改善する薬が開発されて、生存率が

高くなってきている。心筋症という病気も、薬によって、心臓の

機能が一気に衰えないように、回復することはないが、身体の

状態を観察・検査をしながら、延命を目指すということが

可能になってきているとお医者さんは話してくれた。

 

薬はなくてはならない感じになってきている。

ときに、薬に頼りっきりになってるのかな、とおもうときもある。

今みたいに、むくみを感じ、身体がだるいと、どうもそっちの

ペースに入っていく感じもある。

 

顔がむくむ、身体がだるいと感じている「自分」というものは、

そんなとき、そういう感じ方やおもい方とは別に何かを

しているようにもおもう。

「人間って何だろう、人間として生きるってどんなことだろう?」

どこまで、生き長らえるかは別にして、こういう内からの問いは

もういいか、とはなかなかならない。

いまの日本や、世界各地の有様が映ってくるにつけ、

「人間って、こんなにも愚かなはずはない」そういう気持ちが

湧いてくる。

自分については、老いていくことを通して、衰えながらも、

人間の観察をしていきたい。

社会についても、だれもが争いなく、幸せに暮らせる社会へ

の道筋を見ながら老いていきたい。

 

 

 

 


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