かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

自由意志を探る

2013-02-21 17:35:00 | サイエンズ研究所のある暮らし

 久しぶりに、サイエンズスクールのカレッジに、夜参加した。
 じぶんの現状はともかく、自由意志というもの、どうとらえて
いるんだろう? これが、テーマ。

 自由意志ねえ・・・しばらく他の人の話を聞きながら、じぶんの
なかを見てみる。
 なにか、こころの状態がオープンな感じ。
 じぶんのなかも、周りの人のかかわりでも、風通しがよい。
 自他の力が入らない。
 自由自在。
 じぶんのこころに、出てくる気持ちや考えに関心が向く。
 かかわいる事物・人にも関心がいく。
 あんまり、理屈っぽくないのかもしれない。

 Yさんの話。
 お弁当屋で、ご飯を盛っていた人が休みに行った。
 じぶんが替わった。その人が戻ってきた。
 じぶんは、ご飯盛りが面白くなっていた。
 「これ、続けたい」といったら、その人は「いいよ」と言った。
同時に、コンベアーでおかずを詰めてる人たちから「ダメ!」と
声があがった。
 それで、もとにもどった。
 「自由意志でやれたかしら・・・」とYさん。
 「そのとき、ダメと他の人がいったとして、それでもやるという
選択肢、あったろうか」と問いかけ。

 ここで、「うっ」とさらにしらべはじめる。

 ダメと聞いて、「やらなかった」とか「やった」とかで
自由意志かどうか、焦点はこの辺ではない感じがする。
 それを「やる」とか「やらない」とする前の心の状態の
ところ、そのへんがどうなっているか?

 他の人から「ダメ!」と言われて、それでやめたのか。
 「だめ!」というのを、どういう風に聞いたのか。
うけとったのか?

 
  
 孫たちのこと、おもった。。
 ときどき、夜、ママといっしょにわが家に風呂に入りにくる。
 すぐテレビの前。一瞬にして、テレビに釘づけ。
 ママ「入るよ」
 孫たち「・・・・」
 ババ「入るよ」
 孫たち「・・・・」
 ジジ「もう行ったら」
 孫たち「・・・・」
 ママ「先、入ってるよ」
 孫たち「・・・」
 入るときは、どちらかが自分から立ち上がって、風呂に行く。
 この子たちのなかでは、どんなことがおきているか?

 
 大人が「入れ」というから、入っているのか?
 いくら「入れ」といっても、入らないときは入らない。
 入るときは、いともあっさり立ち上がる。

 
 大人、つまりじぶんは、なにかやるのに、ずいぶん理屈を
つけている感じがする。
 いま、この状況なら、こうした方がいいかな、とか。
 誰かが、「こうしてくれ」というから、そうしたとか。
 振り返ると、周囲からだんだんしぼられて、「やるハメに
なった」そうなってやるのが、楽とまでおもっていたかも。
 なんの違和感もない。
 自由意志というところを焦点にあててみたら・・・


 やるにはやっているが、周囲のかかわりのなかで、こころが
スッキっとじぶんの意志としてあらわれていない。
 周囲のこと、もの、人とからまっている。
 おそばにおつゆがからまるのは、おいしい。
 じぶんの意志という場合、やってはいるが、だれかに言われて
やっているとか、状況がこうだから「仕方なく」というのは、
なにか冴えない。
 言い訳とか、人のせいにするようなものと、隣り合わせ。
 自由意志というなら、そういうものとからまないほうが、
風通しがよさそうだ。

 しばらく録音で参加してきたけど、人の間で座っていると
その人の息遣いや表情が見えて、これまたおもしろい。
 


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