かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

日本国憲法

2015-02-20 08:43:29 | アズワンコミュニテイ暮らし

日本国憲法は、これまでも何回も読んできた。

とくに前文から9条の戦争放棄までは。

 

風邪気味のおり、寝床のなかで、あらためて読んでみたとき、

前文の文章の背後に、とっても切実でなみなみならぬ、

「もう、どんなことがあっても戦争はしてはならない」という

熱い気持ちが厳然とあることが、ひしひしと伝わってきて、

目が覚めるおもいだった。

 

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を

通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民

との協和による成果と、わが国全土にわたって自由の

もたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の

惨禍が起こることがないようにすることを決意し、ここに

主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する」

 

何回か読み直してみて、この憲法は、「政府の行為に

よって再び戦争の惨禍が起こることがないように決意

する」ということから発しているんだ。

そのために、「主権は国民にあることを宣言した」

時の政府が、そのときの都合で戦争を起こさないために、

「主権は国民にある」と宣言したのだった。

 

戦争にわが子や孫を送り出す親の気持ちはどんなもの

だったか。

「お国のため」と言いながらも、最後のさいご、それで

わが子を失った無念は帳消しにできただろうか。

自分の心に、言い聞かせ、納得させようとはしたかも

しれないが、自他の幸せをねがう自身の心のはたらき

は消そうにも消せなかったのではないだろうか?

まして。生みの親、母なれば。

 

敗戦から70年。

日本国憲法を読んでみて、いまの時代にこそ、ますます

輝きをみせていると感じた。

「戦争が起こらない」から、「一切、争いの無い世界」への

願いがある。

人間が人間として生きていくのに、殺し合いはもちろん、

対立や憎しみは要らないのではないだろうか?

お互いに、「人間になっていこうぜ」だし、「人間に立ち還ろうぜ」

じゃないかな。

 

「国民主権」というのがどういうものか、学問的とか、法律的とか

よくはわからないけど、自分や自分の身近な人たちから、

対立や束縛や強制のない、一人ひとりがそのまま、尊重される、

そんな社会をできるところから、つくっていきたいなあ。

 

ぼくは、日本国憲法が好きだ。

あらためて、そうおもっている。

自民党の憲法草案を少し読んだ。

専門的なことはわからないが、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が

おこることがないように決意する」という出発点が曖昧、もしくは無くなって

しまっているように感じる。

国と国の戦いをしない、といっているんだから、もちろん軍隊は要らない。

軍隊は無くていいとおもう。

人と人がいがみ合い、憎み合い、殺しあうなんて、どうかんがえても

人間が人間にすることでないようにおもうんだけど。

いままでの、社会の刷り込みなどでそいういう気持ちはなかなか

消えなくとも、少なくとも、そういう気持ちが出てきたら、「ああ、

恥ずかしい」とおもえるようになりたい。

 

 

 

 


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