次々に・・・

なんだか、告知ばかり・・・。昨日発売の『くらしラクーる』五月号(PHP)。メインテーマは[運を強くするヒント]だそうで、ここに「気にするのをやめると『幸運』はやっくる」というタイトルで寄稿しています。『気にしない練習』の超ダイジェスト版みたいなものでゴワス。あはは。コンビニやスーパーのレジそば(?)で売っているらしいです。390円。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


尾張名古屋はシロで持つ

10年ほど前から、愛知県出身の人とやたらと出合う機会が増えていたのだが、4月16日(土)、5月21日(土)、6月18日(土)の三回、名古屋の中日文化センターでお話をさせてもらうことになった。ますます尾張・三河の国に親近感が沸いてきた。東京のべらんめぇの法話がどこまで通用するか、そして、白い犬に会えるか楽しみである(尾張名古屋はシロで持つってぇ言いますからねぇ。あはは)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


地蔵畑

今日はお彼岸の入り。ずっと玄関でお線香番をしようと決めて座った。お参りの方が多いからとても原稿は書けないので、お地蔵さまを描くことにした。徐々にお地蔵さまたち囲まれていく。なんだか、『地蔵畑の真ん中で慈悲を叫ぶ』の図っぽくなった。あはは。100体以上まとめて描いたのは久しぶりだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


地団駄を踏まずにすんだ理由

タイトルは『気にしない技術』だが、副題は~まんがで読み解く般若心経入門~。自分で読んでも、入門編にしては面白すぎると思った。もし他のお坊さんがやったら「ぐわっ!先にやられたーっ!」と地団駄踏んで悔しがったことだろう。ビジネスマン向けのまんがが多く出版されるようになって、「般若心経」ビジネス版の発行にあたり、原作・脚本・解説の白羽の矢を私に立ててくれたあさ出版のOさんに感謝である。3月26日発売。1200円+税です。お楽しみに。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


そして何もなくなった台所で

そしてまた今日は誰もいなくなって、留守番(と言っても別に行きたいところはないけれど)だから、写仏のお手本作り。30年使ってきたダイニングテーブルをリペアに出したので4月一杯まで、台所は何もなくガラーンとしている。町会などで使う長机を置いているのだが、向かいあって食事をすると家内と異様な近さになって、落ち着かないことこの上ない。しかし、ストーブがあるので、写仏をするのにはうってつけだった。三枚描いたらさすがに目がヘンテコリンになった。お薬師さまも描いていたのに・・・。あははは。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一人でいることが、贅沢な時間と場所なのかもしれないl

震災があったから、届けたかったホワイトデーのプレゼントを準備していたのに・・・届けられなかった人がたくさんいただろう。3月11日とはそんな時でもあったのだと思う。私の場合、家内と娘からいただいた分については、家内が今日、自分の分と娘の分を買ってくることになった。これでは想いを物に託したことにはならぬ。思いをお金に託したようなものじゃ。ぐはは。今日、私は夕方まで留守番。原稿を一本書いて自分をほっとさせてから、写仏の下絵作りをしている。一人の時間と場所があるのは贅沢だと思う。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


すき間を埋めるのは、ちょっとしたこと。

午前中の法事を終えて、佐倉市の子育て関連の今年度最終の講演会へ行こうと思っていた。ところが、法事は檀家さんではないので、いらっしゃるのは、滅多に来ない面々だ。それにもかかわらず廊下のディスプレイの「言いたい放題地蔵」のハガキがほとんどないことに気づいた。あわてて文字を書き入れて、いくらかすき間を埋めた。すき間を埋めるこのはこうしたコマゴマしたことなのだなと思った。心のすき間を埋めるもの、ちょっとしたことなのだろう。午後の講演で参加者の方々も、心のすき間を少しは埋めていただけただろうか。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


五月病に間に合うか・・・

「五月病発症時期に合わせて出版できれば」という話に、「やってみましょう」と、いつもの安請け合い。他の本の執筆の合間を縫って書きつづけた六万字がようやく今宵脱稿。実際の五月病だけでなく、五月病的症状の方の役に立てれば幸いだ。それにしても、あと一か月半で本になるのか?

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


あなたが生きている一日は、昨日亡くなった人が生きたかった一日

「あなたが生きている今日は、昨日亡くなった人が生きたかった一日」は、あまり好きな言葉ではない。他人の生き方の代弁者のように生きるのは、自分の人生を生きていることにはならないと思うからである。それでも、3・11の今日と昨日は殊勝にも、漠然とそう思う。やりたいことをやれずに亡くなった人たち、最後の「ありがとう」を家族に告げずにあちらへ逝っいた人たちへに対する、現在生(せい)ある者の、せめてもの手向けとして、私はやりたいことを、やるべきことをやろうと、昨日からずっと赤いボールペンで原稿を直す。

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


腹の底

参加者320名の東京神奈川のご詠歌大会を終えて帰宅すると、娘とその友人のE子と、その息子のRがTDSから帰宅していた。リトルグリーンマンのバケットにキャラメル・塩・シナモンのポップコーンをお代わりして食べたという。三杯である。ウギャ!みんなで楽しく夕飯を食べて、リトルグリーンマンのバケットの油を洗ってアングリ口を開けて乾かしている図を見て、思わず住職室からキャップを持ってきて並列で写真を撮った。あはは。口を開けるとこうなるのだ。思わず「腹のそこを見せてみろって言うと、こうなるんだな」と思った。きれいなモンである。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »