あなたが生きている一日は、昨日亡くなった人が生きたかった一日

「あなたが生きている今日は、昨日亡くなった人が生きたかった一日」は、あまり好きな言葉ではない。他人の生き方の代弁者のように生きるのは、自分の人生を生きていることにはならないと思うからである。それでも、3・11の今日と昨日は殊勝にも、漠然とそう思う。やりたいことをやれずに亡くなった人たち、最後の「ありがとう」を家族に告げずにあちらへ逝っいた人たちへに対する、現在生(せい)ある者の、せめてもの手向けとして、私はやりたいことを、やるべきことをやろうと、昨日からずっと赤いボールペンで原稿を直す。

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コメント
 
 
 
カシコギですか。 (白雪)
2016-03-12 02:47:39
原文は「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと思った明日」ですね。父親が息子の手術費用を作るために最後には自らの角膜まで売ってしまうという深い愛の小説ですね。誰かがこの小説を読んで言葉を変えたのかな?
 
 
 
ちょい間違い (白雪)
2016-03-12 03:11:14
「思った明日」ではなく「願った明日」でした。
 
 
 
知りませんでした。 (和尚)
2016-03-12 20:28:56
白雪さん>へぇ。小説なんですか。この言葉を知ったのは20年ほど前なのですが、小説はいつ頃のものでしょう。きっとオリジナルは千年以上前からどこかで言われている言葉なんでしょうね。
 
 
 
西暦2000年くらいかな? (白雪)
2016-03-12 23:05:57
韓国で200万部以上の大ヒットで、映画もいくつか作られました。日本では反町隆史さんが主演だったと思います。
 
 
 
ほう。 (和尚)
2016-03-16 14:33:55
白雪さん>ありがとうございます。そのセリフで検索をかけてみます。
 
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