「時間」の捌き方

来客があったので作業を中断し、住職室に戻ると「へぇ、『仕事してる感』があるじゃないか」と思った(写真)。自分を客観視したような愉快な瞬間だった。おりしも辞書で確かめていたのは「刹那」(仏教語である)。古代インドの時間の最少単位で、指をパチンとはじく瞬間に69刹那経過すると辞書にある(諸説ある)。1刹那ごとに物事は(私やあなたを含めて)消滅を繰り返すというのが古代インドの考え方だ。よどみなく連続して流れている時間を、そこまで小間割りして捉えようとする感性は、今の私にはない。目下(もっか)のところ、私の疑問は「なぜ時間は一方方向だけに進むのか」という物理学にかかわる問題だからである。ぐはは。

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