「八十八カ所写仏展」(6) クラス会を開ける人たち。


後半の三連休初日。初日であり、彼岸の中日だ。

まるで入(い)りと中日が一緒に来たようなお参りの方々。「にぎわう」という言葉が適していた密蔵院だった。

私は途中で、他のお寺の彼岸法要の法話担当で、少々お寺を離脱。今日のお線香点けはほとんどが副住職が担当していたようだ。
こうしてすこしずつバトンタッチをしていくのだと思う。

中学の時のとなりのクラスが今日、クラス会だという。クラスは違うが二次会からの誘いがあったが、さすがに16時30分にあわせ寺を抜けるわけにはいかないから、19時から三次会からの出席である。

一気に40年近くのタイムスリップ。ワクワクである。当時のニックネームや苗字の呼び捨て・・・。こういう仲間は無条件で楽しい。
楽しいと思えるのは、やはりその時に、公明正大に生きていたからだと思う。イジメなどがあって、荒れていたクラスや学年ではそうはいかぬ。

大学卒業後に教師をしていた高校。担任を任された一年生のクラスは、私の指導力欠如によって、大いに荒れていた。辞職を決めて、生徒にそれが知れたときに、彼らに言った言葉を今でも思いだす。
「お前ら、こんなクラスで、十年後、あるいは二十年後に、どうやってクラス会をやるつもりだ。こんなクラスじゃ、幹事がよびかけてもだれも集まらないよ。集まったって、昔のいい思い出なんか何もないじゃないか。二年になったら、ちゃんと将来クラス会ができるようなクラスにしろよな」
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