若い時のプライドとアタマデッカチ

 なんだか、どうなっているのだろうというくらいの午前中のアワタダシサ。

 家内は早朝から実母の病院の付き添いに出かけ。

 そうしたら、やたら仏教の教えだけにはくわしい、病的そう状態の近所のオジサンが入って来て子供たちが対応。やがて客殿で寝てしまい・・・。

 その間に私は生命保険加入のための問診に出かけ、もっていくべき書類を忘れ再び家にもどったが、とにかく検尿容器の内容物がだそうにも出ず、待合室でしばしマンウォッチングして用事をすませて、

 寺に戻れば、そう状態のオジサンは、起きて副住職相手に大きな声で、かつて自分が学んだ仏教についての講釈の真っ最中。

 どうしていいかわからない奥さんが迎えにきた。かなり疲れている様子。車で30不ほどの救急扱いなら受診できる病院をあたったが、病院曰く「かかりつけへ行ってくれ」。

 とうの本人は、相変わらず昔とった杵柄を振り回して、そう状態。「病院なんぞには行く必要がない」の一点張り。どこまでが真実かわけがわからん。

 とにかく入院させたいという奥さんの意向を汲んで、副住職がかかりつけの病院へ行こうとして、
「家まで車で送る」と嘘を言えば、「家などすぐそこだからお手を煩わせるには及ばぬ」と答える。

 理屈はわかるオヤジサンのこと、仕方ないから、「せっかくこうして若い住職が、家まで送るって、車を表へ回してきたんだ。恥をかかせないで、素直に車にのっちゃどうだ」と啖呵を切った。

「住職、副住職のお慈悲に感謝します」とどうにか、車に乗ってくれた。奥さんを助手席にのせて、一時間ばかりの距離の病院へ行ったはずだが、5時間たった今でも帰って来ない。携帯は通じるようにくなったから、とりあえず、暴れて事故にはなっていないようだ。わははは。

 若い時のプライドをそのまま野放しにして、老後に突入すると、このようになのるだなと、思い知らされた。
 もちろんご本人のために申し上げるが、このオヤジサン、あくまで本人の意志ではなく、病気である。

 お寺は色々な人がいらっしゃいます。たまたまその場にでっくわしても、ビックリしないようにお願いします。

 
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )