親同然の他人ということ

不覚にも、昨日はブログを書く時間がなかった。
なかったとからと言って、どうでもいい一日を過ごしたわけではない。
たんに、朝、寺を出て、昨日のうちに帰宅できなかったというだけである。ぐははは。
それくらい「怪し会4」の打ち上げは楽しかった。芝居も観ないで、飲みに、下北沢へ行ったのは初だった。

さて、今日は家内と私がこの二年で仲人をしたお寺の副住職のカップル二組を、お招きしての夕飯の会。
家内が「一緒に飲みたい」というのである。滅多にそういうことを言わない家内なので、家内はそろそろ死んじゃうのだうかと思ったが、重ねてのめったにない家内の望みゆえ、都合を合わせて来てもらった。家内と私と娘は、夕方からいそいそと料理を作って、私も一品作って、極上の日本酒を一升五合を完全飲酒(略して完飲である)。ぐはははは。

最近では、仲人を立てないカップルが多いが、私たちの世代は、自分たち二人が結びつけてもらっんただから、一つお礼分を加えて、三組の仲人をすべしというのが基本である。

落語の長屋噺には「大家(おおや)と言えば親も同然。店子といえば子も同然」というセリフがよく出てくる。
それと同じように「仲人と言えば親も同然」だと思う。若い二人が、二人では解決できない問題を、実の親で なく、「親同然の他人である仲人」に相談できるようにしてある、日本人が培ってきた"ゆとり"は、おもしろいと思う。

出家とは言いながら、家庭を持っている和尚ならではの「仲人」もアリだと思う。
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