風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中華民族の儚い夢

2021-10-13 00:26:05 | 時事放談
 この週末、習近平国家主席は北京の人民大会堂で行われた辛亥革命110周年記念大会で演説し、台湾との「統一」を平和的に実現すると訴えたらしい。習氏は、2年前から台湾統一のための武力行使に言及し、7月に行った結党100周年記念の演説では独立に向けた正式な動きは全て「粉砕する」などと勇ましいことを述べていたが、今回は比較的穏当な表現が使われたとロイターは伝えている。台湾側は勿論、これに反発し、台湾の将来は台湾市民のみが決めるとの声明を発表し、中国側に威圧をやめるよう求めた。
 習氏にとっては歯痒いことだろう。此度のパンデミックを克服した素晴らしい体制だと、習氏が中国人民に対して散々自画自賛して来たその中国に、肝心の台湾はなびこうとしないからだ。その台湾を、如何に中国共産党に与えられた「歴史的な任務」だと自己主張しているとは言え、武力で「統一」することになれば、中国共産党体制の優越を自己否定することになりはしないか。大いなる矛盾ではないだろうか。
 そのせいかどうか、習氏はこれ以上、国内で「誤謬のない」中国共産党の統治への批判は許さないとばかりに、民間企業が報道事業を行うことを禁止する方針を示した。将来の有事に先んじて、口封じしたかのように見える。大手IT企業や教育産業(塾)や芸能界や不動産業を締め付け、オンラインゲームを制限しただけでなく、言論の自由までも(これまでも不自由だったが)ついに窒息死させることになりそうで、この窮屈な統制社会に、中国人民は果たしていつまで耐えられるだろうか。ノーベル平和賞がロシアとフィリピンの2人のジャーナリストに授与されることに決まったのは、まさに時宜にかなったことであった。
 もとより、中台の平和的統一へのこだわりは、1972年の米中共同声明(所謂上海コミュニケ)において、中国が主張する「一つの中国」を事実として認めさせる代わりに、「その実現は平和的手段によるべし」とする米国の主張を認めたからでもある。だからと言って、習氏がいつまでも待ち続けるとは思えない。なにしろ、台湾では台湾人アイデンティティを抱く人が着実に増えて過半となり、自ら中国人(あるいは中国人&台湾人)と自己認識する人はごく僅かでしかない。統一でも独立でもない、宙ぶらりんな状態ではあっても、今の状況が続く限り、台湾人アイデンティティの進行が可逆的となることはもはや考えられない。時間は習氏に味方しないのである。
 仮に中国が武力行使する場合、国際社会にとってのインパクトは、内政問題だった天安門事件の比ではないだろう。残り20数年を待ちきれずに国際公約だった香港の「一国二制度」保証を破棄したばかりでもある。香港の場合は、中国は今なお「一国二制度」だと強弁するが、台湾の場合に、平和的ではない手段を平和的だと誤魔化すのは至難だろう、と思うのは私たちだけであって、習氏にすれば、台湾独立勢力を粉砕するだけだと屁理屈をこねて、中国の内政問題だと居直ろうとするに違いない。
 アメリカは、トランプ政権以来、台湾関係法に沿って急速に台湾支援に傾いてきた。10月6日付ウォールストリートジャーナル紙によると、武器供与だけでなく、小規模ながら特殊作戦部隊や海兵隊の部隊が台湾陸軍の訓練を行っていたことが明らかになったが、これは、台湾の実力を心許なく思うからだと言われる。アメリカでは、台湾有事にアメリカが武力介入するかどうか分からないという「曖昧戦略」によって、中国による武力行使を抑止して来たが、最近は、もはや曖昧戦略は止めるべきだとする議論が出て来たようだ(リチャード・ハース氏ほか)。間違っても、武力統一できるという幻想を習氏に抱かせることなく、「誤謬なき」中国共産党がタダでは済まなくなることを、ことあるごとに思い知らせるべきだろう。
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