いま国会は、森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書改竄を巡って混乱を極めている。公文書偽造の犯罪行為で、事態が深刻であることは認めるが、他方、ほぼ同時進行で国際情勢も近年になく緊迫しており、国会での議論が余りに偏っていることには違和感を禁じ得ない。安保法制のときと同様、この国の政治家は安全保障がよほど苦手なのだろうか(困ったことに)。朝鮮半島情勢は、(いろいろ裏がありそうな)歴史的な南北会談と米朝会談が決まって、日本も当事国としてどう関与していくかが厳しく問われているし、中国の全人代では歴史的な決議がなされて世界の耳目を集め、こちらでも今後の日本の難しい舵取りが問われている。これまでさんざん朝鮮半島情勢のことを書いて来たので、今回は中国の話をとりあげる。
中国・全人代では、11日に国家主席の任期を撤廃するための憲法改正が可決され、17日に習近平氏がその国家主席に再選された。いま二期目の習近平氏の任期は2023年までの5年間のはずだったが、これで2023年以降の三期目の続投はおろか、終身の国家主席の可能性まで出て来た。先週のニューズウィーク日本版はそれを見越して「世界が習近平の中国をあきらめる時」という、ややセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。中国が(1980年代の韓国や台湾のように)経済が繁栄するにつれて政治改革を進めると期待していた人々は大いなる幻滅を味わい、習体制下で自信を増した中国がこれまで以上に抑圧的な独裁国家になり、反政府派に対する取り締まり強化と、インターネット検閲とテクノロジーを利用して政権が問題視する市民を監視する社会が出現する現実を受け容れざるを得なくなった、というわけだ。
かつて権力集中した毛沢東国家主席のもとで文化大革命の大混乱を経験した反省に立ち、改革開放を進める鄧小平氏が現行憲法の中に安定した権力交代の仕組みを作り込んだのは1982年のことだった。その後、未曾有の経済発展を遂げた36年の時を経て、今回、憲法改正によってそれ以前の時代に復するのは、中国共産党が再び困難な時代に突入することを予見し、権力を集中して支配体制を強化することを選択した象徴的な出来事のように私には思えるのだが、そのあたりの当否はさておき、表向きはリーマンショック以来すっかり自信を深めた中国が「強権主義を特徴とする中国式経済発展モデル」を世界に広める動きを示して、欧米の警戒心を掻き立てている。
こうした警戒心は、アメリカでは何も今に始まったことではなく、10年ちょっと前にも、James Mannなるジャーナリストが‘The China Fantasy’(邦訳名「危険な幻想」、サブタイトル「中国が民主化しなかったら世界はどうなる?」)なる書をものし、(1)気休めのシナリオ(このまま経済発展・対外開放が進んでいけば、政治的開放つまり民主化していくシナリオ)、(2)激動のシナリオ(政治的混乱もしくは経済的混乱が起こり、中国は激動の時代に突入する中国崩壊シナリオ)、(3)第三のシナリオ(経済成長を遂げても、基本的な政治体制は変わらないシナリオ)の三つを提示した上で、第三のシナリオが有力なのに、その当時のアメリカでは気休めのシナリオが支配的であることを問題視したものだった。また2~3年前にはパンダ・ハガーだったCIAのMichael Pillsburyが‘The Hundred-Year Marathon’(邦訳名「China 2049」、サブタイトル「秘密裡に遂行される『世界覇権100年戦略』」)という書で、親中派と袂を分って、世界の覇権を目指す中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすに至った自らの経験を詳らかにした。そして直近では、ハーバード大のグレアム・アリソン教授が、新興国の台頭が覇権国を脅かして生じる構造的ストレス(トゥキュディデスの罠)で衝突した16のケースを解析し、米中戦争の可能性と回避の方策を論じた本‘Destined for War’(邦訳「米中戦争前夜」)を出したのは、最近のアメリカの気分を代弁している。
これに対し、西欧は、どちらかと言うと中国と地理的に離れていることもあって、中国の安全保障上の脅威に対して伝統的に鈍感で、むしろ経済的恩恵に浴そうと政治的に融和的だった。ところが、この一年の間に明らかに潮目が変わった。
例えば、2016年8月にドイツの老舗の産業用ロボット・メーカーKUKAが中国ミデア(美的集団)に買収され、また翌9月にイギリスが(フランスの電力公社EDFが主導し)中国企業が出資する原子力発電所建設計画の着工を条件付きで承認するといった、安全保障上の懸念がある取引は、もはや過去の話になりそうである。昨秋、イギリス、ドイツ、フランスで、それぞれの国における投資案件に対して規制強化する法案がそれぞれ採択され、EUではこうした規制がない域内国のためにガイドラインが作成されるなどして、(明らかに中国による)投資(つまりは企業買収や資本参加)を通した技術獲得(端的に窃取)に、安全保障の観点から歯止めをかける動きが相次いだのである。
こうした経済的な安全保障の観点以外でも、The National Endowment for Democracy(全米民主主義基金)のChristpher Walker氏とJessica Ludwig女史がForeign Affairs誌11月号に論文’The Meaning of Sharp Power ---How Authoritarian States Project Influence’ を寄せ、ジョセフ・ナイ教授が提唱した「ハード・パワー」(軍事や経済の強み)や「ソフト・パワー」(文化や価値観の魅力による強み)さらにはこれらのハイブリッドな「スマート・パワー」に対して、独裁国家が外国に自国の方針を呑ませようと強引な手段に出たりその世論を操作したりする「シャープ・パワー」なる概念を提唱すると、英誌The Economistはすかさず12月16~22日号の表紙に‘Sharp power’、サブタイトル‘The new shape of Chinese influence’と書きたて(下記写真参照)、巻頭論文で「中国の『シャープパワー』に対抗せよ」と呼びかけたのだった。
長くなったので、続きはまた明日・・・
中国・全人代では、11日に国家主席の任期を撤廃するための憲法改正が可決され、17日に習近平氏がその国家主席に再選された。いま二期目の習近平氏の任期は2023年までの5年間のはずだったが、これで2023年以降の三期目の続投はおろか、終身の国家主席の可能性まで出て来た。先週のニューズウィーク日本版はそれを見越して「世界が習近平の中国をあきらめる時」という、ややセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。中国が(1980年代の韓国や台湾のように)経済が繁栄するにつれて政治改革を進めると期待していた人々は大いなる幻滅を味わい、習体制下で自信を増した中国がこれまで以上に抑圧的な独裁国家になり、反政府派に対する取り締まり強化と、インターネット検閲とテクノロジーを利用して政権が問題視する市民を監視する社会が出現する現実を受け容れざるを得なくなった、というわけだ。
かつて権力集中した毛沢東国家主席のもとで文化大革命の大混乱を経験した反省に立ち、改革開放を進める鄧小平氏が現行憲法の中に安定した権力交代の仕組みを作り込んだのは1982年のことだった。その後、未曾有の経済発展を遂げた36年の時を経て、今回、憲法改正によってそれ以前の時代に復するのは、中国共産党が再び困難な時代に突入することを予見し、権力を集中して支配体制を強化することを選択した象徴的な出来事のように私には思えるのだが、そのあたりの当否はさておき、表向きはリーマンショック以来すっかり自信を深めた中国が「強権主義を特徴とする中国式経済発展モデル」を世界に広める動きを示して、欧米の警戒心を掻き立てている。
こうした警戒心は、アメリカでは何も今に始まったことではなく、10年ちょっと前にも、James Mannなるジャーナリストが‘The China Fantasy’(邦訳名「危険な幻想」、サブタイトル「中国が民主化しなかったら世界はどうなる?」)なる書をものし、(1)気休めのシナリオ(このまま経済発展・対外開放が進んでいけば、政治的開放つまり民主化していくシナリオ)、(2)激動のシナリオ(政治的混乱もしくは経済的混乱が起こり、中国は激動の時代に突入する中国崩壊シナリオ)、(3)第三のシナリオ(経済成長を遂げても、基本的な政治体制は変わらないシナリオ)の三つを提示した上で、第三のシナリオが有力なのに、その当時のアメリカでは気休めのシナリオが支配的であることを問題視したものだった。また2~3年前にはパンダ・ハガーだったCIAのMichael Pillsburyが‘The Hundred-Year Marathon’(邦訳名「China 2049」、サブタイトル「秘密裡に遂行される『世界覇権100年戦略』」)という書で、親中派と袂を分って、世界の覇権を目指す中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすに至った自らの経験を詳らかにした。そして直近では、ハーバード大のグレアム・アリソン教授が、新興国の台頭が覇権国を脅かして生じる構造的ストレス(トゥキュディデスの罠)で衝突した16のケースを解析し、米中戦争の可能性と回避の方策を論じた本‘Destined for War’(邦訳「米中戦争前夜」)を出したのは、最近のアメリカの気分を代弁している。
これに対し、西欧は、どちらかと言うと中国と地理的に離れていることもあって、中国の安全保障上の脅威に対して伝統的に鈍感で、むしろ経済的恩恵に浴そうと政治的に融和的だった。ところが、この一年の間に明らかに潮目が変わった。
例えば、2016年8月にドイツの老舗の産業用ロボット・メーカーKUKAが中国ミデア(美的集団)に買収され、また翌9月にイギリスが(フランスの電力公社EDFが主導し)中国企業が出資する原子力発電所建設計画の着工を条件付きで承認するといった、安全保障上の懸念がある取引は、もはや過去の話になりそうである。昨秋、イギリス、ドイツ、フランスで、それぞれの国における投資案件に対して規制強化する法案がそれぞれ採択され、EUではこうした規制がない域内国のためにガイドラインが作成されるなどして、(明らかに中国による)投資(つまりは企業買収や資本参加)を通した技術獲得(端的に窃取)に、安全保障の観点から歯止めをかける動きが相次いだのである。
こうした経済的な安全保障の観点以外でも、The National Endowment for Democracy(全米民主主義基金)のChristpher Walker氏とJessica Ludwig女史がForeign Affairs誌11月号に論文’The Meaning of Sharp Power ---How Authoritarian States Project Influence’ を寄せ、ジョセフ・ナイ教授が提唱した「ハード・パワー」(軍事や経済の強み)や「ソフト・パワー」(文化や価値観の魅力による強み)さらにはこれらのハイブリッドな「スマート・パワー」に対して、独裁国家が外国に自国の方針を呑ませようと強引な手段に出たりその世論を操作したりする「シャープ・パワー」なる概念を提唱すると、英誌The Economistはすかさず12月16~22日号の表紙に‘Sharp power’、サブタイトル‘The new shape of Chinese influence’と書きたて(下記写真参照)、巻頭論文で「中国の『シャープパワー』に対抗せよ」と呼びかけたのだった。
長くなったので、続きはまた明日・・・