三日前のことになるが、渡部昇一氏が亡くなった。享年86。
かつて私が子供の頃の各家庭では、朝日新聞、NHK、岩波書店が定番だった。日本的な意味でのリベラルあるいは進歩的知識人と言われる人たちが活躍する場であり、それが戦後しばらくの国民の気分だったのだろう。我が家も勿論、例外ではない(因みに私の父親は根っからの自民党支持者でありながら、ごく最近まで朝日新聞を購読していた、なんたる混迷・・・)。しかし私は物心ついた頃からなんとなく馴染めないでいた。いかにもスマートな論理で耳に心地良いはずなのに、どこか偽善的かつ独善的で、そのために上滑りで空虚で地に足がつかない心許なさを感じてしまう。そのあたりはもしかしたら保守主義の元祖エドマンド・バークがフランス革命を批判したときの感覚に近いのではないかと思ったりする。しかし、当時はまだ明確に反論できないでいた。そうすると恐ろしいもので、中曽根元首相と言えばいつしか「不沈空母」発言で勇ましい青年将校のイメージが出来上がってしまった(苦笑)。朝日新聞はまことに罪深い。
それだけに、渡部昇一氏の保守的な評論は新鮮だった。中でも私の中で確固たる地位を築いたのは、忘れもしない1982年、文部省(現・文科省)による教科用図書検定において、昭和前期の日本軍が「華北に『侵略』」としていたものが「華北へ『進出』」という表現に書き改めさせられたと新聞各紙が報道して、日・中間の外交問題にまで発展した、第一次教科書問題のときである。たまたま読んでいた保守系オピニオン誌「諸君!」に掲載されていた論文「萬犬虚に吠える」において、渡部氏はマスコミ報道を鵜呑みにすることなく、「侵略」が「進出」に書き改められた事実はないことを丹念に実証し、誤報だと切り捨てたのだった。事実を報道する大手新聞は間違えない、などと信じ切っていた素直な私には衝撃的な出来事だった。今でこそネット社会で、右から左まで入り乱れて、ネトウヨやパヨクなどと揶揄される始末だが、渡部氏はこうした時代に遥かに先行して穏健保守をリードして来られた方だった。
もとは英語学者なのだが、以来、私は専ら渡部氏の保守派論客としての評論に親しんできた。その保守的な感覚に対して、私自身も海外駐在し、日本および日本人を外から眺め、相対化することによって、あらためて郷土愛に近い愛国心を抱くに至って、益々共感するようになった。似たような保守派の論客に西尾幹二氏がいて、彼はドイツ文学者だが、やはり同じように日本および日本人を相対化することによって保守へと傾いて行かれたのだろうと想像する。こういった地理的に多様な、かつ歴史的に深みのある目線は、どうも日本的なリベラル(端的にはサヨク)にはない資質であり、彼ら彼女らは所詮はイデオロギーなのだろうと思う。
イデオロギーということで言うと、江藤淳氏は「保守とはなにか」という論説の中で、「保守主義というと、社会主義、あるいは共産主義という主義があるように、保守主義という一つのイデオロギーがあたかも存在するかのように聞こえます。しかし、保守主義にイデオロギーはありません」とことわった上で、「保守主義とは一言でいえば感覚なのです。更に言えばエスタブリッシュメントの感覚です」と結論づける。渡部氏にはやや教条主義的なところがないわけではなかったが、氏の優しい眼差しの、まさに保守の感覚を、私は愛した。つい最近も、百田尚樹氏との対談「ゼロ戦と日本刀」が文庫化されたので読んだばかりだった。氏の思いは百田氏など私たちの世代にもしっかりと受け継がれている。
謹んで氏のご冥福をお祈りする。合掌。
かつて私が子供の頃の各家庭では、朝日新聞、NHK、岩波書店が定番だった。日本的な意味でのリベラルあるいは進歩的知識人と言われる人たちが活躍する場であり、それが戦後しばらくの国民の気分だったのだろう。我が家も勿論、例外ではない(因みに私の父親は根っからの自民党支持者でありながら、ごく最近まで朝日新聞を購読していた、なんたる混迷・・・)。しかし私は物心ついた頃からなんとなく馴染めないでいた。いかにもスマートな論理で耳に心地良いはずなのに、どこか偽善的かつ独善的で、そのために上滑りで空虚で地に足がつかない心許なさを感じてしまう。そのあたりはもしかしたら保守主義の元祖エドマンド・バークがフランス革命を批判したときの感覚に近いのではないかと思ったりする。しかし、当時はまだ明確に反論できないでいた。そうすると恐ろしいもので、中曽根元首相と言えばいつしか「不沈空母」発言で勇ましい青年将校のイメージが出来上がってしまった(苦笑)。朝日新聞はまことに罪深い。
それだけに、渡部昇一氏の保守的な評論は新鮮だった。中でも私の中で確固たる地位を築いたのは、忘れもしない1982年、文部省(現・文科省)による教科用図書検定において、昭和前期の日本軍が「華北に『侵略』」としていたものが「華北へ『進出』」という表現に書き改めさせられたと新聞各紙が報道して、日・中間の外交問題にまで発展した、第一次教科書問題のときである。たまたま読んでいた保守系オピニオン誌「諸君!」に掲載されていた論文「萬犬虚に吠える」において、渡部氏はマスコミ報道を鵜呑みにすることなく、「侵略」が「進出」に書き改められた事実はないことを丹念に実証し、誤報だと切り捨てたのだった。事実を報道する大手新聞は間違えない、などと信じ切っていた素直な私には衝撃的な出来事だった。今でこそネット社会で、右から左まで入り乱れて、ネトウヨやパヨクなどと揶揄される始末だが、渡部氏はこうした時代に遥かに先行して穏健保守をリードして来られた方だった。
もとは英語学者なのだが、以来、私は専ら渡部氏の保守派論客としての評論に親しんできた。その保守的な感覚に対して、私自身も海外駐在し、日本および日本人を外から眺め、相対化することによって、あらためて郷土愛に近い愛国心を抱くに至って、益々共感するようになった。似たような保守派の論客に西尾幹二氏がいて、彼はドイツ文学者だが、やはり同じように日本および日本人を相対化することによって保守へと傾いて行かれたのだろうと想像する。こういった地理的に多様な、かつ歴史的に深みのある目線は、どうも日本的なリベラル(端的にはサヨク)にはない資質であり、彼ら彼女らは所詮はイデオロギーなのだろうと思う。
イデオロギーということで言うと、江藤淳氏は「保守とはなにか」という論説の中で、「保守主義というと、社会主義、あるいは共産主義という主義があるように、保守主義という一つのイデオロギーがあたかも存在するかのように聞こえます。しかし、保守主義にイデオロギーはありません」とことわった上で、「保守主義とは一言でいえば感覚なのです。更に言えばエスタブリッシュメントの感覚です」と結論づける。渡部氏にはやや教条主義的なところがないわけではなかったが、氏の優しい眼差しの、まさに保守の感覚を、私は愛した。つい最近も、百田尚樹氏との対談「ゼロ戦と日本刀」が文庫化されたので読んだばかりだった。氏の思いは百田氏など私たちの世代にもしっかりと受け継がれている。
謹んで氏のご冥福をお祈りする。合掌。