風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

W杯ギリシャ戦

2014-06-22 23:35:18 | スポーツ・芸能好き
 W杯になると俄かサッカーファンを自称する、真のサッカーファンにはちょっと鼻つまみモノ?の、サッカー観戦記・第二弾は、ギリシャ戦です。とは言いつつ、朝7時開始なので、夜の再放送を見たのですが、ギリシャのエース・ミトログルが長谷部の肘で腰を痛めて負傷するアクシデントで、前半35分で交替し、その3分後には、MFカツラニスが長谷部へのファウルでこの試合二枚目のイエローカードを食らって退場し、その後55分間にわたって11対10の数的優位に立って、日本の先制は時間の問題かと期待したのでしたが・・・実際にポゼッションは圧倒的に日本が勝り、大久保や内田など決定的なチャンスも何度かありましたが、最後まで守備を固めるギリシャを突き崩せないまま、悔しい引き分けに終わりました。
 このあたり、ドイツのSportBild電子版(20日付)も、まさにその11対10で「日本が優勢にもかかわらず勝利を逃す」との見出しを付け、日本は「具体的にどこも何も批判」されるわけではなく、ただ「そこから何もしない」「奇妙な試合だった」理由を、「負ければW杯から敗退することを知っていたから」という心理的なプレッシャーに求めざるを得ないと見ていたようです。前回、スタンドの日本人サポーター全員がゴミを持ち帰ると、その礼儀正しさに感服し大きく報道したスペインのメディアは、「日本、10人を前に敵わず」「10人のギリシャの壁を破れず」といった見出しで、数的有利を手にしながら、「したくてもできない」状況のまま終わったと評したそうです。この「したくてもできない」はスペイン語特有の口語表現で、力はあり、やる気は見えるのに、それが空回りしてしまい、実際に遂行するに至らない、という歯痒さを表す時に用いられるのだそうです。
 ところが、実際に選手のコメントを聞いてみると、却ってギリシャが10人になってからの方が難しかったというから、サッカーは面白いものです。
 「やっていても、見ているときでも11対11でやっていたときの方がウチとしてはやりやすかった部分がありました。相手が10人になって完全に守る形になってからの方が難しくなってしまったのは事実です。(1人減ってからの戦い方は変えたわけではない?と聞かれ)変えたわけではなくて、自分たちがやろうとしてる形をとにかく出そうとしたけれど、やはりあれだけ引かれてしまうとね。その部分で言えば、何が足りなかったのかと言えば、シンキングスピードだったり、オフ(ザボール)の動きの強さとか速さ、そういう部分がもちろん足りなかったと思います。引かれるとチャンスを作りにくいのはあると思うのですが、そこを崩しきれなかったのは自分たちの攻撃力が足りないところなのかなと思います」(長谷部誠)
 「ひとり少なくなれば相手も中を締めてきますし、無理やり入れるのも時には必要かもしれないですけど、外を使いながら、どこかで中を使えればいいかなと思っていたので、守備重視のチームには10人になってより難しくなったかなと思います。(中略)あれだけベタ引きされれば、10対11と言うより、相手のほうが守備の人数は多いので難しいかなと。ただ、こじ開けられなかったのは、なんらかの原因があると思うので、もうちょっとミドルシュートを打てば良かったかな、というのはありましたけど、やっているなかでは、そういうチャンスもなかった気がするので、よりテンポを上げられるようなポジショニングを取れば、よりチャンスは作れたのかなって思います」(遠藤保仁)
 「(ギリシャは一人少なくなっても余裕を持って守っているように見えたが?)余裕を持っているというよりも、守備に徹していた。ああなると逆にやりずらくなったというか、10人の時の方が正直やりずらかった」(長友佑都)
 確かに攻めあぐねてはいましたが、第一戦よりは第二戦の方が、日本らしさが出ていたように思います。もう後がなくなって、最後のコロンビア戦には是非とも期待したいと思います。
コメント
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