世の中に、文房具が嫌いなオトナはいないんじゃないかとさえ思いますが、とにかく私もご多分に漏れず文房具が大好きで、海外の街のスーパーや百貨店では、文房具コーナーに必ず足を運びますし、文房具店があろうものなら、うきうきしてしまいます。つらつら眺めて、おもむろに手にとり、いじくりまわして、棚に戻し、またつらつら眺める。誰もが手にする身近な存在なだけに、ユニバーサルだと思いがちですが、国によって民族によって、やはり使い勝手や美意識が微妙に異なるのが面白い。
単なる思いつきで、万年筆を使い始めることにしました。なにしろ学生時代以来のことで、なるほど、ボールペンとは違う書き味がなんとも懐かしく、新鮮です。
会社では、これまで体面など気にすることなく、手の中でいじくり回そうが落っことそうが悪戯書きしようが一向に気にならない100円ボールペンを使い続けてきました。ところが、業界団体の集まりや外部のセミナーやシンポジウムに参加したときに見かける初老のオジサンが洒落たペンでメモをとる姿が、なかなかカッコイイ。私だって客観的にはいい歳だし、セミ・プライベートな場面・・・と言っても手帳にスケジュールやメモを書き込むくらいのことですが、ちょっと気分を変えてみようと、敢えてクラシックな万年筆に替えてみたのです。手帳をスケジュールでぎっしり埋めたいなどと思う歳ではないし実際にそこまで行きません。文字が乾かない時間をもどかしいとも思いません。スローな生活には万年筆の滑らかな筆致とずしり手にこたえる重量感が似合います。
土橋正さんの「文具上手」(東京書籍)という本に感化されたと言ってもいいでしょう。連休中、ブックオフでたまたま見かけて、本棚から手に取る前に買うことに心に決めた、なんとも見事なネーミングです。商社マンや会計士や医師やTVのプロデューサーやデザイナーなど様々な職業の10人にインタビューし、文房具へのこだわりを開陳してもらっています。
好きなペンや紙はあるが、デザインをしていく上では、それらがなくなったらデザインできなくなってしまう、あるいは癖に余りにも頼り過ぎると新しいものが生まれにくくなってしまう・・・といったことにならないように、出来るだけこだわらないようにしていると語るデザイーナーの、こだわりのなさへのこだわりという逆説。そうかと言えば、ライフワークのイラストを描くときには、お気に入りの文具がこれでもかとふんだんに登場するのに、仕事では自分の個性を出す必要がないから使わないと、あっさり言い切る、イラストが趣味のOLさん。否、日々の仕事で繰り返される些細な仕事にこそ万年筆を使いたい、ボールペンでも用は済むが、万年筆は純粋に心地よいからと言って、便箋に使うのはウォーターマンのブルー・ブラック、なぜなら、やや太めのMやBで書くと細字で書いたときより色に変化が起きるからと、インクにまでこだわる文具卸の商社マン。
Palmをアナログのペンと紙に持ちかえると、しっかり記憶に残るようになったと語るのはお医者さん。曰く、物理的な紙の上に文字を創り出す「体感」のせいではないか、と。あるいは、パソコンは既に出来上がりつつあるイメージをよりキレイにまとめるものであるのに対し、ペンと紙は全くゼロから考えてイメージを作って行くツールだと語るデザイナー。そして、脳との親和性という意味では、ペンと紙の方が断然いい、とも。そして、プライベート・モードになるほど、しなやかに書ける万年筆の出番、と語る人がいますが、いかにも御意。
この本の中で、複数の人が気に入って使っているのが、ラミーサファリの万年筆で、4千円と手頃な価格で、手帳と一緒に持ち歩いても気になりません。透明な筐体が斬新なスケルトンと、珊瑚のピンク色がなんとも派手で可愛いネオン・コーラルの2本を、インク・カートリッジではなく別売の吸引器コンバーター(800円)とペリカンのブルー・ブラック・インクとともに衝動買いしました。実は、つい数ヶ月前、自宅の机の引き出しで死蔵していたモンブランの万年筆(マイスターシュテュック146)やボールペンを、使ってこその文房具じゃないかと、ひっぱり出して使い始めた矢先のことでした。その意味で、このタイミングでこの本に出会ったのは、神様の思し召しでしょうか。モンブランは、勝負万年筆として、かれこれ四半世紀前に購入したまま眠っていたもので、最近は、プライベート・モードで「書く」という行為自体が少なくなりましたが、一生モノとしてぼちぼち使って行こうと思っています。なんてったって、文房具はオトナの合法的なオモチャですから・・・。
上の写真は、奥から、ラミーサファリのスケルトンの万年筆、モンブランの万年筆とボールペンです。
単なる思いつきで、万年筆を使い始めることにしました。なにしろ学生時代以来のことで、なるほど、ボールペンとは違う書き味がなんとも懐かしく、新鮮です。
会社では、これまで体面など気にすることなく、手の中でいじくり回そうが落っことそうが悪戯書きしようが一向に気にならない100円ボールペンを使い続けてきました。ところが、業界団体の集まりや外部のセミナーやシンポジウムに参加したときに見かける初老のオジサンが洒落たペンでメモをとる姿が、なかなかカッコイイ。私だって客観的にはいい歳だし、セミ・プライベートな場面・・・と言っても手帳にスケジュールやメモを書き込むくらいのことですが、ちょっと気分を変えてみようと、敢えてクラシックな万年筆に替えてみたのです。手帳をスケジュールでぎっしり埋めたいなどと思う歳ではないし実際にそこまで行きません。文字が乾かない時間をもどかしいとも思いません。スローな生活には万年筆の滑らかな筆致とずしり手にこたえる重量感が似合います。
土橋正さんの「文具上手」(東京書籍)という本に感化されたと言ってもいいでしょう。連休中、ブックオフでたまたま見かけて、本棚から手に取る前に買うことに心に決めた、なんとも見事なネーミングです。商社マンや会計士や医師やTVのプロデューサーやデザイナーなど様々な職業の10人にインタビューし、文房具へのこだわりを開陳してもらっています。
好きなペンや紙はあるが、デザインをしていく上では、それらがなくなったらデザインできなくなってしまう、あるいは癖に余りにも頼り過ぎると新しいものが生まれにくくなってしまう・・・といったことにならないように、出来るだけこだわらないようにしていると語るデザイーナーの、こだわりのなさへのこだわりという逆説。そうかと言えば、ライフワークのイラストを描くときには、お気に入りの文具がこれでもかとふんだんに登場するのに、仕事では自分の個性を出す必要がないから使わないと、あっさり言い切る、イラストが趣味のOLさん。否、日々の仕事で繰り返される些細な仕事にこそ万年筆を使いたい、ボールペンでも用は済むが、万年筆は純粋に心地よいからと言って、便箋に使うのはウォーターマンのブルー・ブラック、なぜなら、やや太めのMやBで書くと細字で書いたときより色に変化が起きるからと、インクにまでこだわる文具卸の商社マン。
Palmをアナログのペンと紙に持ちかえると、しっかり記憶に残るようになったと語るのはお医者さん。曰く、物理的な紙の上に文字を創り出す「体感」のせいではないか、と。あるいは、パソコンは既に出来上がりつつあるイメージをよりキレイにまとめるものであるのに対し、ペンと紙は全くゼロから考えてイメージを作って行くツールだと語るデザイナー。そして、脳との親和性という意味では、ペンと紙の方が断然いい、とも。そして、プライベート・モードになるほど、しなやかに書ける万年筆の出番、と語る人がいますが、いかにも御意。
この本の中で、複数の人が気に入って使っているのが、ラミーサファリの万年筆で、4千円と手頃な価格で、手帳と一緒に持ち歩いても気になりません。透明な筐体が斬新なスケルトンと、珊瑚のピンク色がなんとも派手で可愛いネオン・コーラルの2本を、インク・カートリッジではなく別売の吸引器コンバーター(800円)とペリカンのブルー・ブラック・インクとともに衝動買いしました。実は、つい数ヶ月前、自宅の机の引き出しで死蔵していたモンブランの万年筆(マイスターシュテュック146)やボールペンを、使ってこその文房具じゃないかと、ひっぱり出して使い始めた矢先のことでした。その意味で、このタイミングでこの本に出会ったのは、神様の思し召しでしょうか。モンブランは、勝負万年筆として、かれこれ四半世紀前に購入したまま眠っていたもので、最近は、プライベート・モードで「書く」という行為自体が少なくなりましたが、一生モノとしてぼちぼち使って行こうと思っています。なんてったって、文房具はオトナの合法的なオモチャですから・・・。
上の写真は、奥から、ラミーサファリのスケルトンの万年筆、モンブランの万年筆とボールペンです。