風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

原発ゼロのポピュリズム

2012-09-09 11:04:48 | 時事放談
 民主党の調査会が将来の原子力発電への依存度に関する提言をまとめました。金曜日の日経新聞によると、「原発ゼロ社会」を目指す、として、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と明記したようです。
 今や産業界を代弁するかのような日経は、早速、「『原発ゼロ』提言はあまりに無責任だ」と題する社説で、「化石燃料に過度に頼ったために起きた1970年代の石油危機のような事態を繰り返してはならない」「多様なエネルギーを確保して電力を安定供給することが、産業や雇用の空洞化の回避につながる」「地球温暖化を防ぐためにも原発の役割は大きい」と正論を述べ、これらへの悪影響について十分な説明もなしに、「原発ゼロ」を打ち出すのは、「選挙対策とみられても仕方あるまい」と酷評しました。
 同じ日経の解説記事では、「大局観なき『原発ゼロ』」とタイトルをつけ、「2030年代に」と幅を持たせている上に、「運転を止めてもすぐに廃炉にはせず、いわば原子炉を眠らせておく選択へも含みを持たせて、万が一のエネルギー危機の際には、再稼働する保険的な狙いがあると受け取れる」ことから、「すぐにでも原発ゼロを求める声と、エネルギー安全保障の観点などから原発の維持を訴える意見との間で何とか折り合いをつけた苦肉の言い回し」と解説しつつも、半世紀以上、原子力を準国産エネルギーとして利用する政策を続けて来て、余りに拙速と戒め、政府と与党が第一に取り組まねばならないのは、二度と悲惨な事故を繰り返さないよう厳正な原子力安全規制を実現し、原子力政策への国民の信頼感を取り戻すことを急ぐべきではないかと主張しています。
 極めてまっとうな主張と思うため、長々と紹介してきました(余談ですが、最近の日経は、日経ビジネス等の雑誌への専門家の寄稿をうまく新聞へも取り込んで、経済一辺倒ではなく多角的な視点で解説ができるようになったと感じます)。脱原発は、長期的な方向性は間違いないという意味で、原発に反対するか消極的に支持するかは、どれくらいの幅の時間軸の中で実現するかどうかの差でしかないと思っています。問題は、民主党の調査会の提言は、どうも脱原発ありきで、総合的な検証に欠けるかに見えるところと、選挙目当てとしか思えないようなキャッチフレーズを使ってしまうことの軽薄さです。前原政調会長は、原発「ゼロを目指す」のであって「ゼロにする」とは書いていない、と苦しい言い訳をしていますが、「ゼロ」という言葉を使うこと自体が大衆受けを狙ったポピュリズムに見えて仕方ありません。二つ指摘したいと思います。
 一つは、原子力産業という点では、無くなるわけではなく、この先何十年も健全に維持して行く必要があることです。2030年代までは少なくともいくつかの原子炉を安全に管理・稼働し続ける上、50基もの原子炉を、順次、廃炉にするため安全に管理・解体していく必要があり、さらに既に存在する膨大な放射性廃棄物に加えて将来的な廃炉や解体作業から新たに発生するものを安全に管理・処分していかなければなりません。「ゼロ」を印象づけるばかりに、将来性がないと受け止められかねない原子力の安全を支える技術や人材が流出あるいは枯渇しかねないとしたら、罪深いことです。
 もう一つは、政策の整合性の問題、あるいは戦略の総合性の問題です。原発反対派は、この夏を乗り切ったことで、原発なしでもやって行けると自信を深めたことでしょうが、産業界はかなり無理をして節電に協力していますし、多くの国民も似たような状況でしょう。とりあえず原発を止めても、石炭があるドイツやシェールガスがあるアメリカと違って、資源の乏しい日本は、当座は化石燃料の輸入に頼らざるを得ず(メタンハイドレートが注目されますが将来の話です)、新興国の経済発展とともに需要拡大が見込まれ、コスト高騰とともに安定供給のリスクもあります。しかも現代の文明社会を支えるエネルギー源の中で、電力の占める割合はごく僅かで、ガソリン等の石油が圧倒的に多く、今後、石油への依存を減らして代替エネルギーを開発せざるを得ない状況にあって、今のところエネルギー密度が低い再生可能エネルギーで出来る範囲は限られているのが現実ですが、将来のことは措いておきましょう。当座の話としても、産業用途に必要な高密度のエネルギーを供給するために必要な原発再稼働なしに、成長戦略を(中身はともかくとして)実現して行けるのかどうか、また、膨大な予算を投入して建造した原発や原子力施設という一種の国家資産を眠らせつつ原発に代わる化石燃料の輸入増や自然エネルギー拡大のためのエネルギー・コストをかけ、結果として社会的なコスト負担を増やす一方で、失われた20年から産業を再生し、ひいては財政を健全化することに資することが出来るのかどうか、そうした政策のチグハグさを検証した上で、自信をもって「ゼロ」を宣言することが、果たして、今、必要なのかどうか、やはり説明が必要と思います。

(過去ブログ)
「原発再稼働に寄せて(後編)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120704
「原発再稼働に寄せて(前編)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120626
「渡部先生、吠える(下)原発問題」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120609
「原発と放射線を巡る問題(7)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110828
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 武士の情は中・韓に無用 | トップ | 尖閣諸島国有化 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事放談」カテゴリの最新記事