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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中国民族という欺瞞

2025-09-06 10:43:20 | 時事放談

 中国は3日、北京・天安門広場で「抗日戦争勝利80年」記念の軍事パレードを行い、習近平国家主席はその開幕演説で、「抗日戦争」で共産党が果たした役割を強調した上で、「国家の主権と統一、領土の一体性を断固として守らなければならない」と主張して中台統一への決意を示し、「中華民族の偉大な復興」は止められないと語ったそうだ(読売新聞)。

 早速、異論が噴出している。

 トランプ大統領は、習氏が演説の中で第ニ次大戦での米国の貢献に言及しなかったことに、「我々は中国を非常に助けた」のに・・・と不満を表明したそうだ(読売新聞)。トランプ大統領の言い分はその通りなのだが、中国共産党の統治の正当性(正統性)をアピールするプロパガンダの晴れの舞台だったのだからしょうがない。

 中国共産党の傀儡とも言える台湾野党・国民党の朱立倫主席(党首)ですら、日中戦争に関し「中国共産党も参加したが主戦場ではなく、国民党が勝利を主導した史実の歪曲を許さない」と強調、「共産党は絶えず歴史を改ざんし、抗日戦争を主導したと言うが、完全に事実と異なる」と非難したそうだ(時事通信)。習近平も当然、抗日は国民党の偉業であることを知っているだろう。だからこそと言うべきだろう、表向き認めることはなく、「中華民族」なる概念を創り出して中国と台湾が一体であることを主張し、国民党の偉業を取り込もうとしている。

 「中華民族」なる民族など、本来はいない。近代ヨーロッパ的な意味では、漢族(これすらも現代では曖昧だが)や蒙古族、満洲族、チベット族、ウイグル族・・・などがいるだけである。56の民族が含まれるというから、言うなればそれは現代の中華人民共和国(=中華帝国)を構成する民族の集合体を総称する観念上の存在に過ぎない。もっとも、民族自体が「想像の共同体」だとすれば、習近平が中国共産党なる帝国を都合よく維持するために創り出した造語として認めなければならないのかもしれない(Wikipediaによれば、初出は1900年11月、清の政治家・伍廷芳の講演とされる)。

 こんな話がある。

 

(引用はじめ)

 国というものは武力を以て国境を防護する制度である。章炳麟は「国家論」において、国家の初め設けられた時は、外を防ぐ(禦ぐ)ことを期したものであった、それ故、古文では国(國)の字を、或に作り戈に従い一を守る字形になっていると述べている。しかし、支那の国は本来、諸侯王の国というほどの意で、支那を全体として国といったことは中華民国まではないようである。

 道光年間、イギリスの貿易監督官エリオットが両広総督・鄧延禎に対し、アヘン問題に関し行商を介し稟<ピン>すなわち請願書の形式で、両国の平和は危殆に瀕しているから、なんとか平和解決の方法を講じたいものであるという意を陳述した時、鄧総督は行商を介して、両国とは解しがたい、おそらくイギリスと米国とを指すものであろうという返書を送ったということである。鄧延禎は支那を国と考えなかったか、あるいは国と考えることを欲しなかったと見える。

 エチ・エー・ギホンスという一米国人は「支那の新地図」において、支那は一つの国<state>でなく、一つの文明である、支那は国ではないにかかわらず、国の観を呈するに至ったのは外国人の擬制<fiction>による、外国人が支那と条約を結び、土地や権利を割譲せしむるには文明ではこまる、文明から土地を取り権利を譲らしむることはできないから、貴国は国であるといって強いて国あつかいをなして、それと談判して土地、権利を取るに至った、支那が国となったのは、外国に都合がよいからで支那が国であったからではない、また支那人が要求したからでもない、それで支那人みずから知らない間に国とせられ、国とせらるること久しきにしたがい支那人みずから国と考えて怪しまないようになったと述べている。

(引用おわり)

 

 京都帝国大学・東洋史学の矢野仁一教授が昭和19年に書いた『大東亜史の構想』(目黒書店)から引用した(一部の旧漢字を現代語にあらためた)。近代ヨーロッパは中国なる存在に出合って、理解するのに苦労したようだ。そこにあるのは中国「文明」であって、ヨーロッパ的な文脈での「国家」(state)ではなかったが、「国境」に囲まれた「人民」がいて「統治」が機能する「国家」として理解しようとした(それが甚だ怪しかったから大日本帝国は大陸の混乱に巻き込まれていったが、余談である)。そして習近平はそれに乗っかり、「中華民族」を自称するようになったということだろう。

 なにしろユーラシア大陸の異民族(中国共産党の言う「中華民族」)が中原に入り乱れて王朝交代を繰り返したのが中国の歴史で、そうした民族の興亡の先に、直近で「中華民族」を名乗る中国共産党なる匪賊が国を乗っ取り、王朝然として、中華人民共和国を主張しているだけのことだ。国(=王朝)の歴史としてはせいぜい76年、抗日を建国神話とするために台湾を吞み込んで中華民国時代(=抗日の時代)を含めて少なくとも114年の歴史とする必要はあるだろう。それを日本の皇国2600年(+85年)に対抗して、日本の食品会社が言った中国4000年の歴史とか、最近では中国5000年の歴史などと、近代ヨーロッパ的な観念で、さも一貫した国家があったかのように見せかけるための「擬制」(fiction)が「中華民族」なのだろう。

 だから中国5000年の歴史は正確には中華「文明」5000年の歴史であり、中華民族は中華人民共和国ではなく中華「文明」を構成する諸民族の総称と言うべきだろう。その中核に中華思想がある。松下憲一教授は近著『中華とはなにか――遊牧民からみた古代中国史』(ちくま新書)の前書きで「中華」について次のように述べておられる。

 

(引用)

 中華の本質とは、夷狄も中華になれることにある。そもそも中華と夷狄の差は、文明を有するか否かの差であって、血統の違い、いま風に言えば民族の違いではない。だから誰でも中華になれる。逆に言えば、気づけば誰もが中華になっている。これこそが中華の本質であり、中華文明拡大の要因である。中華文明はあらゆるものを内部に取り込んで膨張していく性質をもつ。例えば、匈奴が劉氏を名乗り、漢語を話し、漢文を綴り、漢服を着る。そこにはもはや匈奴の面影はなく、中華の人と見なされる。

(引用おわり)

 

 なかなか簡潔に中華の本質を衝いておられる。現代の中華人民共和国も中華(文明)の一つの構成要素とすれば、「あらゆるものを内部に取り込んで膨張していく性質」を持っているというくだりは、昨今の経済的威圧(economic coercion)を見ていると、実に象徴的ではないだろうか。

 そこにモンゴル人が打ち建てた元朝という厄介な存在がある。中国は行きがかり上、元朝を中華王朝の正統に位置づけ、中国共産党は国内600万人強の少数民族・モンゴル族を中華民族の一部と主張し、チンギス・ハン以下のモンゴル帝国の皇帝たちも中華民族の英雄に加えているが、安田峰俊著『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)によれば、いわゆる元寇、即ち蒙古襲来(中国側で用いられる「元日戦争」)は、「中国国内の公教育でほぼ習わないうえ、中国の若者の約半分が受験する高考(ガオカオ・大学共通入試)の歴史科目でも出題されないことから、高学歴層の間ですらほとんど知られていない」そうだ。中国では公教育の中でも外交部の記者会見でも、「中国は歴史上で一度も他国を侵略したことがない」「世界で最も平和を好む国」という歴史認識を唱え続けており、元朝は不都合な歴史として扱いに困っているように見える。何しろ元朝フビライは「日本以外にも、北ベトナム(陳朝)と南ベトナム(チャンパー王国)、ミャンマー(パガン朝)、インドネシア(マジャパヒト王国)、さらに樺太のアイヌらしき集団(骨嵬[クイ])にも遠征軍を送っている」(同書より)し、モンゴル人に広げれば中央アジアや西アジア、さらにヨーロッパを脅かした世界帝国なのである。

 中国共産党が主張する歴史はことほど左様にまやかしであり、「中華民族」は欺瞞に塗れている。いわゆる認知戦であり、歴史戦、すなわち戦争なのだとしっかり捉えて対抗すべきだろう。

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