風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

海外から見るデフレ日本

2019-10-15 22:46:57 | 日々の生活
 二泊三日でシンガポールに出張してきた。台風19号上陸の翌・日曜日に出発することになっていたので、そもそも空港まで行き着けるのか、空港に着いても機材があって飛べるのか、ぎりぎりまで気を揉んだ。幸い、前日(台風上陸当日)はほぼ全面的に欠航となり、機体が羽田にとどまっていることが予想できたので、当日、天気になればいつでも飛べると逆に焦ったが、地下鉄を除きJRなどの公共交通機関が昼頃まで殆ど動かないことに配慮した日本航空は、出発を11時半のところを夕方5時半に遅らせてくれて、その頃には普通にスムーズに移動することが出来た。欠航となることも想定して、あれこれ頭の体操をしていたが、幸い大事に至らなかった。
 それはともかく、こうして海外に行って気になるのは、シンガポールなどのアジア諸国にしてもアメリカにしても、物価が着実に上がって、日本の物価が相対的に安く感じられることだ。
 それと関係があるのかどうか分からないが、空港でクレジットカード会社や航空会社のラウンジを使うときに残念に思うのは、海外ではだいたい食事もアルコールもサービスされるのに、日本ではほぼソフトドリンクのみと世知辛いことだ。コストダウンのためにケチっているのではないかと勘繰ってしまう。
 日本のデフレは、節約志向の日本人が過当競争に明け暮れた末の縮小均衡なのだろうと私は勝手に想像している。電機メーカーにしても自動車メーカーにしてもレストラン・チェーンにしても、数が多く、ダーウィンの自然淘汰より今西錦司さんの棲み分け理論に従うかのように、廃業を簡単に選ぶことなく、それぞれ切り詰めながら痩せ我慢の経営をして、本来はゲゼルシャフトなのにゲマインシャフトの共同体を構成して生き延びるのが日本的な生き方だ。明らかな勝ち負けやら白黒をつけるのではなく、三方一両損を美学としてしまう不思議な国民性だ(大岡越前までもが損をすることはないだろうに 笑)。隣に安い労働力を供給する巨大な中国という存在があったからではあるが、生産を中国に移しながら、非正規の雇用を増やしながら、人口が増えないからマーケットも広がらない中で、節約に節約を重ねて、品質を落とすわけでもないのが日本人の素晴らしいところだが、つつましく生きる。最近、それは必ずしも褒められたものではないような気がしている。
 世界の中の日本として見たときに、日本の高品質は高価であって然るべきだと思う。日本では、どこで何を食べても美味いと思うのは私が日本人のせい(日本人の舌をもっているせい)でもあるが、同時にそれが安いことを嬉しいと思うのではなく、おかしいと思うべきではないだろうか。そろそろ日本人は、日本品質を自覚し、余り金を落とさない韓国人観光客が減って嘆くのではなく、また本物を求める中国人が爆買い出来ないほど本物は高いと見せつけ、安いホテルをばんばん建てるのではなく、高級旅館や高級ホテルに長期滞在してもらって、高価な日本品質をじっくり堪能してもらうという稀少価値のサイクルに、気づくべきではないだろうか。
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