風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

「したたかな外交」に見える危うさ

2022-01-21 20:50:45 | 時事放談
 前回ブログでは、心ならずも林外務大臣の姿勢に猜疑心を催したが、岸田首相の外交に関する発言にも首を傾げたくなる。今週月曜日の施政方針演説で、「日本外交のしたたかさが試される一年だ」と述べ、提唱する「新時代リアリズム外交」を展開していく考えを強調したそうだ(産経新聞による)。
 果たして、自ら「したたか」などと主張するものだろうか。他人が評価するなら分かる。そもそも日常的には(本来の意味合いは別にして)否定的なニュアンスで語られることが多い言葉だ。「リアリズム」にしても、自分から(自慢気に!?)言うものだろうか。時代が評価するなら分かる。その対極にある「リベラリズム」は、もともと岸田首相の看板だったはずで、君子豹変してしまったとも思えないから、その言わんとするところをいろいろ下衆の勘ぐりをしたくなる。
 産経新聞は、「首相が率いる自民党派閥の宏池会(岸田派)はリベラル派閥として、外交では『親中国』、安保では『軽武装・経済重視』を掲げてきた伝統がある。岸田政権にも『中国寄り』という〝疑い〟の目が向けられることを意識し、自身の外交・安保政策を『現実主義』と位置付けて反駁する意図も感じられる。」と解説する。なるほど、気負っておられるのは分かる。
 『小学館・精選版日本国語大辞典』によると、「したたか」の項の5番目に、「見かけはそうは見えないが、相当の能力をもち、簡単にはこちらの思うようにならない人のさま。多くは悪い場合にいう。一筋なわではいかないさま。」とある。そのように虚勢を張っておられるのだろう。あるいは、国民の8割以上が中国に親しみを感じないご時世に、まさか露骨に親中の姿勢を見せれば非難されるのがコワいし、だからと言ってアメリカのようにコワモテに対峙する勇気はなく、たとえ勇気があっても経済面へのダメージがあればやはり経済界から非難されるのがコワいから、その間で「したたか」に逡巡することがあっても責められないように予防線を張っているように見える。「言うべきことを言う」と自慢げにおっしゃることが多いが、とっとと態度で示して欲しいものだと思う。
 岸田首相お得意の「聞く力」というのもなかなか曲者だ。「決められない」のを糊塗しているようにしか見えない。安倍さんやスガさんのような頑固オヤジと違って、良く言えば柔軟、その実態は優柔不断で、野党には与しやすいと思われているようだ。しかし、信念や自己主張が見えないのは、腰が定まらなくて、頼りなく見えてしまう。
 そんな言葉遣いに加えて、もう一つ気になるのは、語りだ。どうも間延びするし、張りがないから、他所事のように聞こえて、説得力に欠ける。
 さらに、表情にもいまひとつ締まりがない。経産官僚OBの古賀茂明さんとは根本的に考えが合わないのだが、彼が「岸田氏の会見を見るたびに、違和感を抱く。なぜなら、岸田氏が非常に困難な課題について語る時、『涼しい顔』で用意した紙を読むだけで、全く危機感が伝わってこないからだ」と言われることには同意する。なるほど、「涼しい顔」。リーダーとして悲壮感がないのは時には良いこともあるが、良きに計らえ式のお殿様のような“他人事”感が漂うようでは、困る。
 このように言い切ってしまえば、良いところが何もなくなってしまうが、実はこれまでのところは、評判が悪かった安倍式、スガ式の逆張りで、内閣支持率は頗る良好だそうだ。コロナ禍対応では、水際対策が諸外国から批判的に見られるほどに世論に阿って厳しく処し、佐渡島の金山に関しては近隣国に配慮して遠慮がちで、といった具合いで、得意の「聞く力」が奏功しているのだろうか。一種のポピュリズムだと批判的に見る私は、あらためて偏屈者だと自覚する(笑)。
 私の友人の一人は、銀行員時代の岸田さんと接点があって、見た目が地味で、首相になるとは思わなかったと語っていた。庶民受けはしそうだが、この難しい時代に、軸を定めて、他から予見可能でないと、安定した外交は進められないし、外交に必要な強さも感じられないのを懸念する。
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